酒物語:アジアの酒分布

篠田隆

酒の製造方法

酒の歴史は人類の歴史とともに古い。しかし、一般庶民が日常的に酒を消費できるようになったのは比較的最近のことで、酒の大量生産方式の確立と所得の向上が背景となっている。大量生産方式の確立以前、酒は世界の広範な地域で製造されていたが、酒を製造しなかった地域も少なからず存在した。酒の製造過程には人類の英知がきらめいている。この英知には自然現象の注意深い観察や経験的事実の応用のみならず、化学理論の開発とその製造過程への適用が含まれる。

酒に含まれるわれわれを酔わす成分であるエチルアルコールは、糖類の発酵により造られる。発酵は酵母の働きによりなされる。初期の酒製造では空気中に存在する天然の酵母が利用されていたが、化学の発達とともに人工的に繁殖させた酵母を使用するようになった。

酒の類型は図1にみるように、糖分の酒とでんぷんの酒に二分できる。糖分の酒とは、原料から糖分を直接抽出し発酵させる系統で、主要な原料は蜂蜜、果実、樹液、乳などである。現在の蜂蜜酒は局地的に点在する分布を示すが、蜂蜜はどこであれ比較的容易に入手できるため、以前は広範に分布していたものと推測されている。東欧のミードワインが有名である。

図1 伝統的な酒の類型 出所:『週間朝日百科、世界の食べもの一世界の酒一』第14巻132号、1983年、30ページ。

果実酒はブドウ、リンゴ、ナシ、プラム、サクランボなどから造られるが、生産・消費量と知名度において圧倒的に優勢なのはブドウ酒である。地中海を取り巻く諸地域でブドウ栽培が優勢であり、古代エジプト文明やエーゲ文明の遺跡から多数のワイン貯蔵器が発掘されている。果汁のみを発酵させたのが白ワイン、果皮と果汁をあわせて発酵させたのが赤ワインである。赤ワインのほうがコクがあり、保存できる期間も長い。日本ではブドウの多くは食用果実として直接に、あるいはジュースとして消費されている。しかし、果汁の保存がきくようになったのはパスツゥールが殺菌法を開発して以降のことである。ワインに利用されるリンゴは小粒で酸味の強い品種であり、ヨーロッパ大陸が主要な産地である。リンゴの圧搾技術はムギのひき割りと同原理である。熱帯・亜熱帯ではバナナやパイナップルの利用もみられるが、果実酒は後に触れるように、ヨーロッパの農耕文化と深く関わっているといえる。

一定の種類の糖度の高い樹液からも酒を製造することができる。シラカバやカエデの樹液も利用されてきたが、代表的なのはヤシ類、サトウキビ、リュウゼツラン、イトランである。

ヤシは熱帯・亜熱帯地帯に広範に分布し、多数ある品種のうち、ココヤシ、アブラヤシ、サケヤシ、ナツメヤシ、ニッパヤシ、パルミラヤシ、サトウヤシなどからヤシ酒が造られている。開花前に花軸の先端すなわち花序を切り取り、そこから漏出する樹液をくくり付けた容器で採取し、天然の酵母に任せ発酵させる。

サトウキビの抽出可能な糖分は重量の約10%である。圧搾後、液汁そのものをあるいは処理水を発酵させたのがラム酒である。サトウキビは中南米のみならず、アジアの広域で栽培されるようになっており、ラム酒の重要性は増大している。中米ではリュウゼツランの塊茎やイトランの樹液からテキーラやプルケを製造する。プルケはアステカ文明以前に既に飲用されていた醸造酒だが、テキーラはスペイン人が蒸留法を伝えてから製造されるようになった。

乳酒は乳糖を発酵させたものであり、馬、ラクダ、牛の乳が利用されている。乳糖を分離するために撹拝が行なわれ、乳加工の過程で得られる様々な副産物からも乳酒は造られる。ただし、発酵させただけの乳酒はアルコール度は低いため、度数を上げるため蒸留も行なわれる。代表的な乳酒は馬乳酒クミズであり、シベリアから中央アジアにかけての広大な牧畜遊牧民地域で製造されている。また、トルクメン族などのラクダ遊牧民はラクダや牛の乳からチャルと呼ばれる乳酒を製造している。

でんぷんの酒は穀類、芋類を原料とする。穀類や芋類の大量生産は定着農耕を前提とするので、原料を採集でもまかなえる糖分の酒の発生よりも時代が新しいと考えらてれいる。さらに、でんぷんはそのままでは発酵しないので、でんぷんを発酵能力のある糖分に変換するための方法が確立されねばならなかった。

代表的な方法は三種あり、最も古いとされているのが、人間の唾液に含まれるジァスターゼのでんぷん糖化作用を利用する方法である。例えば、中米のインディアンはトウモロコシの粥に唾液とともに噛み砕いたトウモロコシを混ぜ、発酵させた。台湾の一部でも米や雑穀を醸造する際、月経の状態にない女子の噛んだ米粉が発酵に利用された。また南太平洋地域に若い女性がカヴァの根を噛み、カヴァ酒を製造する地域が広範に分布している。女性が酒製造の主体をなす地域や唾液にも浄性の観念が働いた地域では、女性の唾液が重宝されたものとおもわれる。唾液の利用はヨーロッパ、アフリカを含む全世界に痕跡を残しており、他の方法の確立とともに代替化の進行したことを示している。

第二の方法は、もやし法である。もやしというと、われわれは日常的に消費している豆類のもやしを想起するが、酒製造で重要になるのは穀類とりわけオオムギと雑穀である。穀類が発芽する際胚種にでんぷんを糖化する酵素マルターゼが形成され、これが醸造に利用される。とくにオオムギの糖化作用は強力であり、古代エジプト人もオオムギの酒すなわちビールを製造していた。その製法は、粉砕した麦芽で一旦パンをつくり、必要に応じてその断片を水に溶き、自然発酵させる点に特徴があった。苦みをつけるホップが本格的に導入されたのは16世紀以降のことで、それ以前は様々な薬用・香辛料植物が味付けに利用されていた。古代オリエントで発生したビール醸造は西アジアを経て、ヨーロッパ全域に伝わった。雑穀とりわけモロコシやシコクビエを利用したもやし酒の製造は、アフリカの雑穀地帯で一般的にみられる。雑穀のもやしを粉砕し煮込み、濾過した煮汁を自然発酵させ、もやし酒を造っている。

第三の方法は、でんぷん糖化作用をもつジァスターゼを造り出す一定種類のカビを利用する方法である。この方法は東アジア、東南アジアからヒマラヤ地域にかけて一般的で、原料には米や雑穀が使用されている。日本では米粒そのものに対して黄麹菌による散麹を作用させ、清酒を製造する。また、九州以南では黒麹菌を利用し、アワモリなどの焼酎を造っている。朝鮮、中国や東南アジアでは粉砕した穀類にクモノスカビやケカビを作用させ、醸造を行なっている。中尾佐助はカビすなわち麹を利用した醸造酒の起源を雑穀による粒酒にみている。シコクビエの粒酒はネパールなどのヒマラヤ地域で一般的であり、麹により発酵させた粒酒を竹筒に入れ熱湯を注ぎ、竹のストローで吸引する。米粉や米粒を原料とする原料とする麹酒は、粒酒の米地帯における発展形態だと考えられている。

以上、原料と糖化手段を中心として醸造酒の基本的な種類を概観した。醸造酒には原料の風味が濃厚に反映するため個性的な味を得ることができる反面、アルコール度が低く、保存にも難点がある。これらの難点を克服するため開発されたのが蒸留酒である。蒸留酒とは醸造酒を蒸留し、アルコール度を高めた酒のことである。蒸留技術そのものは古くからみられたが、酒の蒸留の歴史は比較的新しく、ヨーロッパへはイスラーム世界からその技術が伝えられた。蒸留酒の普及は更に遅れて16世紀以降のことであり、西洋列強の植民地化とともに酒の蒸留技術は世界各地に伝えられた。ただし、これと系統を異にする粒酒の蒸留技術は、宗の時代には南方より中国に伝わっていたとされている。蒸留酒、とりわけワインやビールを蒸したブランデー、ウィスキーは産業革命以降大量生産が可能となり、保存に耐えるその特性から世界貿易の重要な品目となり、酒文化を有しない地域にも浸透するようになった。

次に、土着的な酒の分布を図2に基づき整理しておこう。同図の作成者エミール・ヴェルトは酒文化を広義の農耕文化に含め、二大農耕文化すなわち鍬系列の農具を主に主要な労働手段とする鍬農耕文化と黎具、役畜を労働手段とする黎農耕文化では酒文化を異にすることを示した。彼の用語法では、ビールはでんぷんの酒の総称であり、モヤシ・ビールは雑穀やオオムギの発芽を利用した醸造酒、唾液ビールは唾液を糖化に利用する醸造酒、菌ビールは米粒を含む麹酒、に対応する。
図2 アルコール飲料の分布  注)実線はモヤシ・ビールの範囲を示す。破線は唾液ビールの範囲を示す(アメリカ)。大きい黒丸は唾液ビールが散在(残存)することを示す。破点線は「カヴァ」の地域を示す(南洋)。点線は菌ビールの範囲を限っている(東南アジア)。線Ⅰは醸造の南限を示す。Ⅱは南方の、樹液による酒(「ヤシ酒」)と北方の漿果酒(「ブドウ酒」)との限界。Ⅲは醸造のためのブドウ栽培の北限。Ⅳは(漿果)酒づくりの一般の北限。有棘線(中央アジアおよび東北アジア)は乳酒の地域を示す。

出所:エミール・ヴェルト(藪内芳彦、飯沼二郎訳)『農耕文化の起源』岩波書店、313項、地図 17。

狩猟民族の問には蜂蜜や樹液採集による糖分の酒製造がみられるが、その規模は小さい。定着農耕とともに栽培植物に依拠した日常的かつ安定的な醸造が開始された。ヤシ酒は東南アジアの鍬農耕と黎農耕の重合地帯を中心に、アジア、アフリカの熱帯・亜熱帯地帯に帯状に分布している。中米におけるリュウゼツランの利用は、ヤシの利用に対応するものとされている。ヤシ酒に対してブドウ酒は、黎農耕に特有な糖分の酒だと考えられている。ブドウ栽培の北限はユーラシア大陸の温.帯地方を広く画しているが、ブドウ酒生産の中心地は地中海を取り巻く諸地域である。乳酒はモンゴル、中央アジアの草原地帯からシベリアにかけて遊牧民の間に普及している。シベリアでの乳酒とりわけ蒸留酒の歴史はモンゴル、中央アジアよりも新しい。でんぷんの酒は、穀類、芋類栽培を前提とするので、狩猟民にはみられない。三種類でんぷん糖化方法のうち、最も広範に分布しているのはモヤシ法であり、旧世界の鍬農耕と黎農耕のほぼ全域えお覆っている。唾液ビールの中心地は南北アメリカ大陸とカヴァの南太平洋地域であるが、その痕跡は全鍬農耕地帯に残っている。麹による菌ビールは、日本を含むアジアの一角に局限されている。この地域はでんぷん糖化の三方法が重合した多様性の中心地なので、ヴェルトはでんぷんの酒の発生地をこの地域にみている。

以上みたように、土着的な酒の原料や加工法は、狩猟採集、遊牧、農耕などの生業形態と深く関わっている。定着農耕にあっても鍬農耕と黎農耕では主原料を異にしている。これら土着的な酒の基層文化の上に、外来文化が優先文化として覆い被さったり、あるいは土着文化と融合する形で現在の酒文化が形成されている。とくに近年、押し寄せる近代化の波のなかで、各地の作物構成や就業形態に大きな変化が生じている。この変化は酒の嗜好や消費構造における都市農村間格差を拡大するとともに、土着的な酒製造の社会経済基盤を掘り崩す方向に作用しているとおもわれる。ただし、アジア諸国間の経済格差、所得格差は著しく大きいので、現時点における外来酒文化と土着の酒文化のつ詰抗の有様は、地域により少なからぬ偏差を示しているものとおもわれる。

参考文献

エミール・ヴェルト(藪内芳彦、飯沼二郎訳)『農耕文化の起源』岩波書店

『週間朝日百科、世界の食べもの一世界の酒一』第14巻132号、1983年

『週間朝日百科、世界の食べもの一飲酒の文化一』第14巻133号、1983年

初出誌情報

篠田隆 1992「酒物語:1.アジアの酒の分布」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.109-112.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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