酒物語:朝鮮―風土と対話の産物

新納豊

凍り付いた坂道を滑るようにして目指す酒場に辿り着き、扉を開けると真っ白い湯気が通りにこぼれ出てくる。「オソ・オセヨ(いらっしゃい)」の声ももどかしくオンドル部屋に上がり込み、床にぺったりと張りついて体を溶かす。真冬のソウルの夜は厳しい。こんな時に飲むのは焼酒(ソジュ、日本では焼酎という)と相場が決まっている。肴は海産物をドバーッと入れて辛く味付けした鍋がいいだろう。これで今度は内側から温める。

田舎に長期滞在していると、老人の早朝訪問を受けることが多い。それでも遠慮したすえの6時頃の訪問である。中庭で「オホン」という咳払いが聞こえると、こちらは跳ね起きて布団を片隅に押し寄せ、身繕いをして「オショッソヨ(いらっしゃいましたか)」などと応ずる。戸口から首を出すと、家の主人を気づかってか「ナガジャ(外に出よう)」となる。行先は雑貨屋の裏口あたり。ここでマッコルリ(濁酒、どぶろく)が飲める。たいていはキムチと味噌汁が付いてくるので、これで朝飯は済んでしまう。

いずれも忘れ難い韓国での酒の思い出である。ビール、ウイスキー、ワインと何でもござれだが、それらは記憶に残らない。酒はやはり風土と人間の対話の産物なのであろう。在来酒としてはこのほかに清酒(薬酒)があり、清酒・濁酒・焼酒という三大ジャンルの成立は高麗末期(13・14世紀)といわれる。"もっとも遅いのは元が高麗を支配していた時期に流入した焼酒。清酒・濁酒の原形はさらにずっと遡る。元来家庭で自由につくられていたものだから、原料や製造方法の差異により多様な酒が存在したが、日本の支配期に導入された「酒税法」によりその多くは姿を消している。ここでは濁酒と焼酒に触れる。

酒づくりのあれこれ

蒸した米に麹を合わせ、温水を加えて醗酵させれば、とりあえず酒はできる。ある程度の量とアルコール度数の高いものを得ようとすれば、いくどかの追加仕込みをする。日本の清酒は最初のものを酒母としてさらに初添、仲添、留添と三回の「添」を加える。これを三段仕込みという。朝鮮李朝時代の清酒は三回のものもあるが二回が一般的なようである。酒つくりの発想と手順に違いはない。

用いられる麹は対照的である。日本の麹は米を材料とし、米粒をそのまま蒸してかびをつけた「ばら麹」である。朝鮮の麹は小麦を用いる。粗く砕いた小麦を水で練り、布にくるみ木枠にはめて足で踏み固めてかびをつける。中国でもほぼ同様らしいが、これは「餅麹」と呼ばれる。麹の違いによって色や香り、そして味の違いが生まれる。米麹の酒は白っぽく、小麦麹ではやや褐色がかる。香りも小麦麹のほうが芳香がより強いといわれる。味については何とも言えない。日本でも韓国でも今日我々が一般に飲めるのは工場製品だから比較のしようがない。

酒の原料としては昔から米を用いたものが多い。糖米を単独で用いたり、梗米と混用することもあるが、梗米の単独使用が大半である。他の穀類としては大麦、小麦、黍などを用いている酒も見られるが、文献上のその比率はきわめて小さい。葡萄酒は高麗時代にすでに見られ、元の支配期には羊乳酒・馬乳酒もあった。文献に残りにくい庶民レベルでの、ことに焼酒の原料は相当に多様だったと思われるが、私の勉強が足りない。

濁酒

濁酒すなわち「にごり酒」は朝鮮でもっとも古くから親しまれてきた酒である。ご飯に小麦麹を合わせて仕込んだもので、酒が濁っていることから濁酒と呼ばれた。2回の追加仕込みをやって放置しておけば下方に濁りが沈澱する。これを濁白(タッペギ)といい、上の方の澄んだ部分が清酒である。李朝時代は通常これを取り分けて飲用したらしい。

今日、濁酒といえばマッコルリを指し、都市部の飲み屋では民俗酒などとメニューに書かれている。同じく酒好きであるといっても、酒の研究が好きな人と酒を飲むのが好きな人ではその厳密さは異なる。飲むのが好きな人の厳密さは口の中に入ってからで、名称にはあまりこだわりが無いようである。しかし研究はそうはいかない。李朝時代に限定して、鄭大聲氏は「米の麹とご飯でつくったのが、『濁酒』、小麦の麹とご飯でつくった酒をそのままかき混ぜて濾したものがマッコルリ、混ぜないときに上面の清澄部分と下面の濁り部分に分かれるが、その下面の部分だけのときを濁白(タッペギ)、とするのが一応の区別法である」という。ここでの米麹による「濁酒」には梨花酒などがあった。しかし一般的に庶民の家でつくるのはマッコルリ、それも一回仕込みで短時間に醗酵させたもので、アルコール度数も6度ほどである。

ところで、現在韓国で市販されているマッコルリは戦後の食糧難時代に白米の使用が禁止された経緯もあって、原料として小麦粉を用いたものが大半である。70年代末には白米使用禁止は解除され、近年は米の消費量を増やしたいこともあってむしろ奨励されているようだが、40年間小麦粉に慣らされた味覚はすぐにはもどらないためか、白米を原料にしたマッコルリの評判はあまりよろしくないようだった。

マッコルリの作り方

大東文化大学国際関係学部の第1期生に木村豊君がいたが、彼は卒論製作としてこのマッコルリに取り組んだ。その製造過程の記録を要約して紹介しよう。

〔材料〕
粳米2kg、米麹6009、イースト菌大さじ3杯程度30g、水(ミネラルウォーターを使用)3.6リットル。

〔製造法〕

  1. 米を水につけること3時間。
  2. 炊飯器で炊く。柔らかめに炊くこと。
  3. 炊き上がった飯を皿などに移して完全に冷ます。
  4. 冷ました飯をもち状になるまで、手の平をいっぱいに使って握るようにして練る。練り終えた飯に麹とイースト菌を入れ、平均的に混ざるように軽くもう一度練る。これを用意した瓶(ぬか漬けなどに使うものを利用)にいれて3時間程おく。
  5. 室温に慣らした水を加え、瓶に新聞紙でふたをして4日間放置する。この間動かしたり混ぜたりしない。半日ほどすると気泡が表面に浮き出てくる。3日目頃には気泡は出なくなる。更に一日放置する。
  6. 醸造を終えた酒を軽くかき混ぜ(炭酸が含まれているのでそれを逃がさないように)、ガーゼなどで絞り出す。これで清涼感溢れるマッコルリの出来上がりである。

木村君は数回の試作から製法をこのようにまとめた。当初の情報源はここで明かすわけにはいかない。ここで米麹を使ったのは麦麹の代用、イースト菌は促進剤である。「酒税法」をジュクドクガンミの上、大いに試みて欲しい。ちなみにこの量だと4・5人で十分に楽しめる。価格計算が無いのがこの報告の欠点である。

焼酒の伝来

一般の醸造酒を熱して蒸留すれば焼酒は出来る。醸造酒はそのまま放置しておくと変質したり腐敗したりする。また、アルコール度数の高い酒を得るためには醸造では限界がある。そこで蒸留酒が考案された。どうやらペルシャでのことらしい。アラビア語でアラック(Araq)というのがそれである。これが12世紀頃西方に伝わりウイスキー、ブランデー、ウオッカとなった。では朝鮮伝来はどうであったか。

高麗時代にはじめて伝来した蒸留酒文化は、文献上焼酒と阿刺吉酒の名称が見られるが、後には異名同酒とされて焼酒に統合される。焼酒の朝鮮での飲用起源は文献では1376年と推定されている。張智鉱氏は伝来の経路を南方ルートと北方ルートの双方について検討している。発祥の地はペルシャ地域である。南方ルートはインド、東南アジアを経て元(中国)に入り、元から高麗に伝来したとするもの。北方ルートは、ペルシャからトルコ、モンゴル、満州を経て元に伝わり、高麗に伝来したもの。いずれのルートも元から高麗に入ったのは共通している。ただし、言語学的見地からはアラビア語のAraqがモンゴル語ではAraki(馬乳酒を蒸留したもの)、満州語ではArki、朝鮮語ではAraekiというように類似性が高いことから、北方ルートのバイプがより太かったと推定される。いずれにせよ張智鉉氏は、高麗時代にはしばしばイスラム商人の往来(『高麗史』では1024年、1025年、1040年など)があり、また相当数の帰化人の存在も確認されていることから、元からの流入以前に阿刺吉酒そのもののイスラム商人による直接授受があったあったろうことを強調している。

現行の焼酒

韓国には日本でも有名な眞露以外にも多くの地域銘柄がある。最近、サッカリンを添加していないことを強調した銘柄も出て評判がいいが、従来のものはサッカリンで若干の甘味がつけられている。通常水で割って飲んだりはしない。アルコール度数は25度前後である。さて、現行の焼酒の原料についてだが、鄭大聲氏によれば、韓国の現行酒税法では焼酒を「白米を除くデンプンを含む物料、もしくは果実を除くデンプンを含む物料か酒粕、そして麹と水を原料にして醗酵させ、蒸留したもの」と定め、ほかにアルコールを水でうすめたものが稀釈式焼酒として認可されているという。10年程前に聞いた話では、韓国の焼酒はサツマイモから得たアルコールを稀釈したものが多く、輸入した糖蜜を原料とするものもあるということであった。いずれにせよ、稀釈式焼酒が多かったということだ。私は一昨年に米焼酒を飲んだ経験があるので、酒税法上の規定もその後に変更があったのかもしれない。韓国では最近、各地で伝統的な酒造りを復活させようとする動きがあり、酒飲みの期待を集めている。北朝鮮では以前から各種穀類を原料とする多様な焼酒が飲まれている。

参考文献

鄭大聲『朝鮮の酒』築地書館、1987年

李盛雨『韓国食品社会史』教文社(ソウル)、1984年

張智鉉『韓国外来酒流入史研究』修学社(ソウル)1989年

木村豊『朝鮮の酒一マッコリ製造過程記録』国際関係学部1989年度卒業論文

初出誌情報

新納豊 1992「酒物語:2.朝鮮―風土と対話の産物」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.113-115.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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