タブー、マナー、エチケット:インドネシア―マナーとタブー

エディ・ヘルマワン

(1)タブー(taboo-tabu-pantrang)

インドネシアは370の方言があるので、タブーについての語彙もさまざまである。例えば、インドネシア語では、pantang ihram, tegah larangan, pemali, tidak halal, terlarang menurut adat, yang mendatangkan bahaya, menolak, haram など、スンダ語では pantang, pantrang pamali、ジャカルタ方言では、pantang, pantangan(飲食の禁忌、スンダ語の pantrang と同義)、ジャワ語では sirikan, larangan, menyenyirik, menyenyegah などは使う。これらの語彙は生活、慣習(adat)および宗教に関わっている。

私は小学生のころ、友達と一緒に球場にサッカーの試合を見に行ったが、アラビア文字の古新聞紙を地面に敷いてその上に座ることが一度もなかった。これはどういう理由からか。やはり、神聖な『クルアーン」を冒漬しないという気持ちからではないだろうかと思う。食事のときは、左利きの人(kidal)は別にして、いつも右手を使って食べる。相手に物を渡すときも右手を使う。そして右手で他人の頭を打つことはしない。立小便もタブーで、やむをえないときは、人の通行しないところでちゃんと膝まずいてやる。職工の作業、バスケットの試合、陸上競技中以外に、公衆の前でランニングを着ることはよくないとされる。ご飯を食べるとき、小便、大便などの話はしない。指を鼻や口などに入れることはむろん駄目だ。

インドネシア人社会においては、ご飯をきちんと食べないと“ご飯が泣く”という言い方がある。夜になって針を買わない、売らない。そして、夜の掃除もいけないというタブーもあった。これらは礼儀(教)、道徳、戒律などに関わっているのである。

①使えない言葉(禁句)

インドネシア語にも、方言にも、allegory(風論、寓意)、connotation(含蓄)、derogatory(悪口)がたくさんあって、よく使われている。これらを公衆の前でまたは相手に対して指さして言うと、人間の品格の問題にされる。

インドネシア語

anjing(犬)、babi(豚)、monyet(猿)、cucunguk(ごきぶり)、edan(気違い)、gelo(狂う)など。

1978年より、インドネシアでは prokem という隠語もできて、生徒および大学生がよく使うが、公式的にはいけない。例えばcewek(女性)、cowok(男性)、ayam(きれいな子)、barang(麻薬)など。

人体語について、例えばインドネシア語のseringai-menyeringai(皮肉に笑う)。人相に関するhidung pasek(低い鼻)、congek(耳の悪い人)、kate(背の低い人)など、いわゆる日本語の差別表現に相当する言いまわしは少なくない。公式的にはやはり遠慮した方がよい。

②宗教規律によるタブー

インドネシアでは、“宗教に触れる”とは、親不孝のことである。次の言葉からその重さが分かるだろう。

父母と神様に尊敬(服従)すること。

インドネシア人の考えでは、品格のある人は神様が父母を通じて、この世に誕生させたと考えられている。父母は子供の教育を指導して、成人になるまで自立させるよう教育する。

子供の責任は、父母を愛し、尊敬する。父母に従う。硬い態度を避ける。父母に乱暴な言葉などを言うことは許されない。また子供の不作法によって父母に恥をかかせることはいけない。つまり、これはタブーである。子供は大人になると、大人としての責任を持つ。しかし、父母に対する責任はまだ終わっていない。大人になっても、父母を愛し、尊敬し、喜ばせる。さらに、必要な場合、援助する。

父母を冒漬するのは、単なるマナーとエチケットの悪さを示すだけではなく、インドネシア語で言えば、durhaka, doraka, dosa(罪)として扱われる。

神に対しても同じである。多宗教(イスラーム教、キリスト教、仏教、ヒンドゥ教など)のインドネシアでは、まず、自分が信仰する宗教の教律を守る。そして、宗教間の摩擦を避けることは非常に重視される。宗教を重んじる国だから、小さいときから、個々は神様に対して、次のような教育を受ける。

  1. 神に対する認識
  2. 神に対する愛情
  3. 神に対する礼拝
  4. 神に対する服従

4番の神様に対する服従は、それぞれの宗教に関わっている。エチケットとして、他人の宗教を批判しないことである。言い換えれば、敵を作ることは駄目だ。建国五原則Panca Sila の第一原則に、唯一の神様 Ketuhanan Yang Maha Esa が書いてある。これは国教または第一宗教を意味しない。すべての宗教、イスラーム教、キリスト教、仏教、ヒンドゥ教などの存在と発展の権利は平等である。文明的に、礼儀的に、それぞれの宗教を信仰し、実行し、生かすことは、一言で言えば、互いに尊敬し合うことである。

イスラーム教では、豚肉(haram)は禁止されている。仏教はすべての肉はいけないが、僧侶の他、普通の信者ならまだ食べている。バリ島では、ヒンドゥ教徒には、牛肉はいけない。これはもちろんヒンドゥ、バリ教の牛に対する戒律によるもの。ahimza(殺戒)と仏教の殺生戒律はいくぶん異なっているところがある。

そして、断食(puasa)と飲酒はイスラーム教の戒律で、とくに断食はイスラーム教にとって一つの試練である。他宗教の人々も尊重すべきである。断食期間、わざと食事をイスラームの人に見せるのは、いけない。外来者はラマダンの期間中、現地の慣習に従えば無難である。食事を誘う場合、一般的に、鶏肉はインドネシアの宗教では問題にならない。

③伝統、習俗によるタブー

ジャカルタの周辺では、結婚式の式典または披露宴が行なわれるときタブーはとくにないが、妊婦は門に立つことは禁止されている。難産になる可能性があると言われている。夜になって、妊婦は大きな木の下に行かないこと。怖いところだから、流産させる危険にあうかも知れないという。妊婦は枕に綿を入れることはいけない。そうしたら、生んだ子は貧欲の強い子になると信じられている。

魚をむやみに殺してはいけない。子供は魚のようになると言われている。

自動車を運転するとき、黒猫または鶏を轢いて死なせることはダメである。

またジャカルタの近辺の結婚式に戻るが、新郎に塩を食べさせることは禁止されている。塩を食べると汗がたくさん出るため、衣服が濡れるという。そして、新郎の健康が損なわれているように見えるとされている。

食物、例えば、焼豆腐、焼テンペは、油っぽいので禁止される。

タブーの言葉は、辞書には掲載されてはいるが、教科書には入らない。

「不幸、不吉」(sial)などについても教学の科目ではない。しかし、明文なしの習俗に従ったものは、廃止または変更は至難なことである。例えば50年も前には土曜日、すなわち6の日に旅をすることは「タブー」であった。時代の推移に伴い今日ではほとんどなくなった。一方、世界中によく知られている“13”という不吉な番号はインドネシアのホテルまたは旅館の部屋番号としては使わない。2月13日開業の東部ジャワのマラングで建てられたプラザが突然倒壊した。「大安吉日」を選ぶ必要があると視察した科学技術官は言った。これは迷信か。

日本では駐車場、病院などで、4(死)、7(質)、9(苦)は使わない。日本人は現地の駐車場に駐車するとき、いやな気持ちがあるかも知れない。中国人は春節(旧正月)の時期に“死”という言葉は言わないが4と死の関係はピンと来ない。

インドネシア人は60年前“celaka 12”と言った。だんだん“celaka 13”に代わって今日に至っている。奇数と偶数の縁起はそれぞれ日本人と中国人が注意している。インドネシア人はあまり関係はない。

色についても、固く考えることはない。例えば、結婚式の祝儀袋は普通の白い封筒で結構である。

(2)マナーとエチケット

インドネシアでは、小学校から中学校まで、戦前日本の修身にあたるPendidikan Kesejahteraan Keluarga(家族福祉教育)という必修課程が設置されている。学習範囲は広くて、個人、家庭、社会、国家民族を含める人間関係と対応法に関わっているものである。その中で、前述の父母と神様の他、マナーおよびエチケットも無論大切な科目として教えている。小学校から中学校までの9年間、これらをマスターすれば、一生忘れなく、後は実行されるかどうかのことである。

インドネシアでは、マナーという英語は使わない。etiket=etiquette はインドネシア語化された英語として使われている。sikap, sopan santun, budi pekerti はマナーとエチケットを含める語彙であろう。sikap, sopan santun, berbudi pekerti luhur を説明すると、sikap は行動と態度を示しているが、budipekerti は品格、人格または感情、情操というものである。高尚な人格によって、どちらが sopan で、どちらが tidaksopan であるかは区別できる。

個人、家庭、学校、社会の4方面で、マナーを評価するので、言葉の旨い人いわゆる「口蜜腹剣」(口は甘い、心は残酷)の人に騙される可能性がよくある。

インドネシアでの sopan santun と外国のものとは必ずしも一致しない場合もある。各地の習慣によって価値観が違ってくる。だから、マナーというものは相対的である。一般論として、普通のマナーに反するとき、必ず人の反感を買う。郷に入っては郷に従えば安全であろう。人間の交際について、次のような態度をできるだけ示すべきだとインドネシアの教育者は強調している。

  1. すっぱい顔より笑顔の方が得である。
  2. 人を傷つけることはいけない。
  3. 寛容な態度で人に接する。恐嚇および憎むことはいけない。
  4. 他人の欠点については話さない。
  5. 教師、年配者を尊敬する。会うとき、頷くこと、手を振ることは失礼である。
  6. 道路で知人と会うときは手を振っても結構である。

  7. 一緒に歩くとき、年配者は右側に、3人の場合一番尊敬される方は真ん中に、自分は左に。ドアに入るとき、年配者は先に。
  8. 女性と一緒に歩くとき、尊敬の気持ちで、できるだけ重そうな荷物を代わりに持つ。
  9. 部屋に入る前、ノックすること。`ya'の返事を聞いたら入る。脱帽して、サングラスはとり、部屋に居る間はかけない。
  10. ‘Silakan duduk’と聞いたあと座る。ちゃんと椅子に座って、足を組むことはいけない。
  11. 話しながら立って、部屋のタンスの物を見たり、本棚の本を出したりすることは大変失礼である。
  12. 食事に誘われるとき、家庭でも宴会でも、主人また主催者がどうぞという前には食べない。どうぞと言われてから、適当に食物を取る。
  13. お客さんの来訪時は立ちあがり、主人が紹介してから挨拶する。
  14. タバコを吸うとき、主人の許可が必要である。部屋に女性が居る場合、まず女性に聞いてから吸う。
  15. お客さんが帰るとき、ドアまで送る。
  16. 主人とお客さんとは互いに挨拶する。
  17. 訪問する時間はできるだけ短縮して、金曜または日曜日、寺院または教会での礼拝時間は遠慮する。
  18. 道路上で女性に対して、大きな声で呼ぶことはいけない。
  19. バスまたは汽車、電車の中で3~4人のグループで大きな声で話すことはよくない。
  20. 貧富、または地位の格差を示すことは交際の障害になるので、避ける。

まだたくさん注意すべきことはあるが、さらに次の数点を加える必要がある。

  1. 上司に対しては、尊敬すると同時に恐れてはいけない。そして反抗する態度もよくない。
  2. 部下を、怒鳴ることはよくない。とくに人前において怒鳴ることはよくない。注意する必要がある場合は叱るより、むしろアドバイスの方がいい。礼儀的ソフトな態度はいい。そして、ヒ司として、教育的な措置(罰)は取る必要がある。

服装については、時間、場所と状況に関わっている。

宴会では、正装か背広(lengkap sipil)で、女性はスカートを着用する。しかし、更紗振興会の宣伝によって、熱帯にふさわしい長袖更紗は近年来、公式的な服装になっている。女性もバティックとケバヤを着用する。もちろん西洋のものも流行している。

お葬式の場合は、目立つ色はいけない。一番いいのは簡単な服装で、清潔かつ黒色、白色、青色または灰色でもよい。必要のない飾物は避ける。

食事のときは、きちんとした服装をする。ランニングは前述したように失礼だ。それに、髪の毛を綺麗にして、手を洗って、濡れた体を拭いてから食事する。

食卓でのマナーでは、イスラーム教、キリスト教の信者は、食事が始まる直前と食後、神様に祈祷する。食卓で先を争うことは許されない。一般的には、年配者が優先される。

そして、注意すべきことは、皿にスプーンとフォークを置くとき、使うとき、音をたてない。

ご飯とおやつをほどほどに取る。山のように積むのは行儀が悪い。

おやつを取るとき、自分のスプーンとフォークを使わない。共用のスプーンとフォークとを使う。

食事では、口を開けたまま食べない。噛むとき、喋るか笑うことは禁物である。飲むときは、一気でなくて、少しずつ。

全部食べなくてもいい。ちょっと残したほうがいい。ナプキン(口拭い)serbet makanは口と手を拭くために使用する。顔を拭くことはいけない。

楊子を使うときは、口を手で押さえる。

以上のようなマナーとエチケットは日本でも通用するだろう。

インドネシアでは1945年8月17日よりオランダ政庁と日本軍政から解放されて、独立国となったが、戦乱は1950年まで続いた。経済混乱のなかで、精神教育はなかなか徹底的に実施されていなかった。続いて、政治の不安定期が続き、クーデターも起こった。1965年新政府が誕生して、今日までに至る約30年間、教育制度は整備されて来たし、改革も行なわれている。経済は幾分改善されているが、失業者はまだかなり存在する。労働者の賃金もインフレの速度に追いつかないため、個人、家族、学校と社会における風紀も変わって、昔のように純朴ではないらしい。

ジャカルタの高校生の問では、近年抗争がよく起こっている。等閑視できない社会問題になっている。国軍が彼らを教育するという措置を取らざるを得なかった。適切な措置であったか否かは断じがたい。

最近バンドゥン工科大学で学生デモが頻繁に行なわれ、数名の学生が退学させられ、当局に拘束された。この措置については賛否両論があった。文部大臣は、大学側に対し、学生と対話するよう提言した。結果はまだ分かっていない。一連の事件があったので、有識者は、タブー、マナー、エチケットを取り上げて、議論している。ウイラント学長は工科大学生の道徳とエチケットについて強調していた。とくに大学生のBapakisme(上司に対する尊敬と服従)または「尊師愛徒」(弟子は師を尊び、師は弟子を愛する)と高校生の交際問題、人間関係、さらに進路問題に関わる心理状態はインドネシアにおける一つの重要な課題として深く注目されているところである。

初出誌情報

エディ・ヘルマワン 1994「タブー、マナー、エチケット:インドネシア―マナーとタブー」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第4号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.108-112.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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