飲料:モンゴル―チャイはモンゴルで

フフバートル

1日が終わって、さあ、そろそろ寝ようか、というときに、モンゴルの草原では「さあ、地に耳を傾けようか」という言い方をする。昔は、敵の情報を得るために、地面に耳を当てて馬蹄の響きを聞いていたから、「地を聞く」という発想がある。大地に耳を当てながら安眠した人々も、翌朝は、枕元に響く、トン、トン、トンという音で目を覚ます。隣近所の「お茶つき」の音である。この音は、今朝はわが家が一番だぞという、早起き奥さんの近所の奥さんたちへのメッセージでもある。それを意識するかのように、今度は別の方向からも同じ音が響きはじめ、草原の朝はだんだんにぎわってくる。広大な大地の中で人々の暮らしの活気を伝えてくれるこの「お茶つき」の音も、今ではもう古い風景となりつつある。

モンゴル入の1日は、お茶を沸かすことから始まって、お茶との付き合いの中でおわる。この昔ながらの食生活パターンにはなんら変化がない。

一家の朝食の支度をするため、早起きした奥さんはまず外へ出て、ウルフと呼ばれるモンゴル・ゲルの天井の上を外から覆う四角のフェルトを取らなければならない。そのとたんゲルの中は明るくなる。すがすがしい朝の空気が入ってくる。次いで夜の問下ろされた煙突の先を外へ出して、かまどに火をつける。燃料には乾いた牛糞を使うのが普通である。外から見える煙がもうもうとたっているのはまだ起きたばかりで、ばたばたしている証拠。奥さんたちはできるだけ火をヒ手に炊こうとする。火が盛んに燃えれば煙はあまり出ないからだ。鍋一杯に水を入れた奥さんが今度は、風呂敷のようなものに包まれた小包を食器棚かたんすの中から取り出す。慌ただしくその紐を解く。中に包まれているのは日本語で「タンチャ」という、大きな煉瓦のような形のお茶の固まりである。こんな表現をしてもぴんとこないかもしれないので、『広辞苑』の説明を借りることにしよう。

「台湾に産し、シベリア・モンゴル地方で飲用されるト等のお茶。紅茶または緑茶の屑を蒸して、傳(中国の煉瓦)のように圧搾したものを削って用いる。だんちゃ。蒙古茶」

モンゴル語ではこのお茶のことを、型に押し固められたその形からヘビンチャイ(型茶)と呼ぶ。昔は型の大きさもさまざまで、2斤(1kg)、3斤、5斤のものもあったそうだ。最近販売されているのは4斤型の、「川」字マークの商品である。このブランドの登場は清朝の光緒33年(1907)であるという記録があるが、タンチャはその以前からあったようだ。お茶の固まりには今でも満州文字が商標としてくっきりと姿を残したままである。当時なら「国字」としてある程度は知られていたはずのこの文字も、今や得体の知れないただのしるしになってしまった。しかし、このブランドの古い歴史を物語るものとしては面白い。タンチャは昔からモンゴルやチベット向けに作られてきたようだ。現在は生産地が中国の湖北省内にあり、モンゴル向けに生産されている。商品の包装紙に掲載されるモンゴル文字の宣伝文や解説からもこれははっきりしている。

お茶の屑の固まりとはいえ、このタンチャはモンゴル人が飲んできたいろいろなお茶に比べれば上等なものであった。そのために中国商人の目玉商品として、モンゴルとの貿易に貢献してきたことは確かである。内モンゴルの年配の人たちはこう語る。新中国の建国以前、南からやって来る漢人商人からこのお茶を1個手に入れるために、子羊付きの雌羊1匹をその代金にするときすらあった、と。いったん飲み始め、その味を覚えたモンゴル人にとって、このお茶はかけがえのない品となった。実際にモンゴルでは、お茶はお茶ならぬ主食並みの大量消耗品の1つである。遊牧民の消耗品について指を折って数えるなら、現在でもまず小麦粉の次に、お茶が挙げられる。そして塩、マッチ、灯油の順になる。こういうわけで、毎月の出費を考えるにもお茶は重要である。自家製の肉や乳製品などは消耗品から外される。

ここで話をまたゲルの中の奥さんのところへ戻そう。

タンチャを包む「風呂敷」は革製である。これは、それをそのまま開いてその上でお茶を削ったり、崩したりするために敷くからである。丈夫でなければならない。そのために包丁か斧、またはハンマーがお茶と一緒に包まれていることがある。

削られた、または叩き崩されたお茶は、昔なら茶臼の中に入れて粉々についた。それはあくまでも、お茶を節約するための手段だったので、今では「お茶つき」をする家庭も珍しくなった。まともなお茶を使う人たちから見ればタンチャ自体が屑の固まりであったが、屑の中からなるべく屑を出さないという工夫が、この「お茶つき」の目的であった。茶臼はだいたい直径が17~18cm、高さ35cmぐらいの丸太に穴を掘って作られたものである。実際に穴の直径は10cmちょっとぐらいである。

「お茶つき」をするときは、お茶がこぼれないように左手で臼の口を塞ぐようにしながら、右手でハンマーの柄を縦に握ってつく。だから左手も自然にハンマーの柄を軽く握るような形になる。しばらくついた後、臼の中のお茶をそのまま鍋に入れる。井戸水の善し悪しによっては必ず沸騰させてから入れなければならない場合がある。粉になった分h澄みが多くなるので、それを杓子ですくいとる。

モンゴルの女性にとっては、料理の腕よりもお茶の腕の方がはるかに大事である。評判になるのも噂になるのもその家その家のお茶だからである。おいしいお茶を沸かすこつは、水やミルクなど材料を選ぶことにあるのはもちろん、お茶の濃度と火の調整も大事なポイントである。沸騰するお茶を杓子ですくい上げては上からゆっくり落とすという動作を繰り返す。その後は、ざるでこして茶がらを取り除き、ミルクと適量の塩を入れる。沸騰させながらまた、すくって上から落とす動作を何度か繰り返せば、ミルクティーはできあがる。お茶をなるべく早く鍋からやかんへ移した方がいい。そうしないと、鉄製鍋の錆の味がついてお茶がまずくなる恐れがある。昔はやかんも銅製のものが多かった。今のアルミニウム製のものに比べれば、ヒ等で、またお茶の味もよかったという。

いよいよ「朝ご飯」だ。奥さんは家族の1人1人にお茶を入れる。その時テーブルの上には、チーズに似たような乳製品やバター、油で揚げたお菓子などが用意されている。場合によっては、前日の夕食の残りである骨付きの塩煮肉や、肉詰めの蒸し鮫子も出る。これもチーズなどと同じようにお茶の中に入れて食べる。お碗の中に冷たいものばかり入れるとお茶がすぐさめる。速く飲み、熱いお茶のお代わりを何度も繰り返さなければならない。そのうちにチーズは柔らかくなり、肉や鮫子は温かくなってくる。慣れてくればそれはなかなかいい味である。

乳製品は基本的に、夏や秋の牛乳などが豊富な季節にしか作れない。冬と春の食卓を飾るチーズなどはだいたい硬いものばかりである。これを食べる時は熱いお茶の助けが必要になる。チーズをお茶にゆっくりつけておく。これにより、お茶の味もおいしくなる。乳製品はお茶を飲むためにあり、お茶は乳製品を食べるためにある、とモンゴルの人は考えている。お茶の用意なしに乳製品をかじるのは特殊な場合に限る。お茶と乳製品、とくにお茶と牛乳とは切っても切れない関係にある。これを表わす表現として、モンゴル語にはチャイネー・ウネー(お茶の乳牛)という言葉がある。これは、自分の手元に、最小限残しておかなければならない乳牛のことを意味する。すなわち、乳製品が作れるほどの乳はともかくとして、せめてお茶に入れるぐらいの牛乳を確保しなければならないというときの、1頭か2頭ばかりの乳牛をさす。当然、子牛なしには乳が出ないので、乳牛は子牛つきである。もちろん牛以外の家畜の乳を使うことも可能である。この表現は転じて、貧乏人の唯一の財産をさすことがある。

ここに説明を加えたいことは、乳は飲むためにあるのではなく、あくまでもお茶に入れるためにある。草原の小さな病院には夏の患者が、移動式のわが家を病院のすぐ近くに建てて「入院」することがある。それは、病院の施設が足りないからではない。このチャイネー・ウネーを連れてくることがそもそもの目的である。よそから牛乳を乞うことなく、気楽にスゥータイ・チャイ(乳入りのお茶)が飲みたいのである。この乳を入れたお茶は見た目は、ミルクティーとほとんど変わらない。乳の入れぐあいにより、またはお茶の濃度と水の善し悪しにより色が多少変わることはある。しかし、外国人の目にはどうやらお茶というよりもスープに見えるようだ。

私事で恐縮であるが、ここに1つエピソードを挿ませてもらおう。

日本に生まれ、4歳のときに初めてモンゴルの地を踏んだわが娘が、日本に戻ってきてから、モンゴルで食事に苦労したことを思い出したのか、ある日突然言い出した。「モンゴルは食べ物が3つしかない」と。それはモンゴルに連れて帰った私を責めるような調子であった。その3つとは何であるかと確かめたところ、「お肉でしょう、チーズでしょう、スープでしょう」と指を折りながら数えあげた。肉とチーズのことならわかるけれど、そんなにスープを飲ませた覚えはない。「スープ」とは何のことか、こっちはしばらくその意味がわからなかった。ところがその後、私がフィンランドの東洋学者ラムステットの『七回の東方旅行』(荒牧和子訳中央公論社)を読んだとき、「モンゴル茶はとても奇妙な飲物だ。お茶というよりはスープに近い」というくだりを読んで、ふと娘が言ったことを思い出した。1つの謎が解けそうだ。

やや興奮して娘にたずねた。すると彼女は、「ナカニー、チーズヲイレタリー…」と言い出したではないか。

スープの中にチーズを入れるなんてモンゴルではありえないので、これはやっぱりお茶のことだった。しかし、われわれが普段何気なくお茶として飲んでいるものが、外の世界の者にはスープに見える。いったいなぜだろうか、という疑問が生じた。日本では普段作って飲んでいる暇がないとしても、モンゴルのお客さんが家に来たりするときは、だいたいこのお茶を出している。だから娘はそれを知っていたはずだった。それなのに、モンゴルへ行ったとたんに、それを「スープ」と錯覚するようになったとは。結局、お茶を飲む道具、すなわち茶碗とお茶の飲み方の違いがそう思わせたのではないか、と考えた。

数十年前まで、モンゴル人は常に各自の木製のお碗を持ち歩いていた。現在はそれはほとんど見られない。販売されている茶碗は、日本の家庭で使われるご飯用のお碗よりは大きい。丼に近いものもある。とにかく飲む量が違うので、入れ物は大きい。そんなお碗で何回もお代わりするのはまだよいとしても、その中にチーズやら肉やらをつけて食べるものだから、とてもお茶を飲むようには見えなかったのであろう。

「昼食」も朝とそう変わらない。1日「三食」はモンゴルでは「二茶一食」である。モンゴルの食文化を反映するのが、ウランバートルのホテルなどで今なお使われる「朝茶」という言葉であるが、中味はもちろん普通の朝食である。乳製品の豊富な夏の間は1日「三茶」だって珍しくない。二食がわりのお茶がこの「二茶」で、その合間に飲む「非正式な」お茶はまた別である。後者は前者と違って、必ずしも家族揃ってとは限らない。飲みたい人、暇な人だけが飲めばいい。また、チーズやバターを出しておくくらいで、食べ物を工夫して揃えなくてもいい。日本の軽食くらいのものだ。不意のお客さんのために、いつでもお茶の用意が整っていることはいうまでもない。お隣さんが来てもお茶、お茶、お茶。お茶はその家の顔である。

「日常茶飯」で疲れる奥さんの1日の最後の仕事は、かまどから煙突を下へ降ろし、外へ出てウルフを閉めることである。そして一家は、また静かなる大地に耳を傾ける。

初出誌情報

フフバートル1995「飲料:モンゴル チャイはモンゴルで」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第5号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.104-107.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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