市・市場:中国の市場

内田知行

市場における食料品など生活必需品の売り買いを中国語では「集市貿易」という。訳語としては、通常、「自由市場」という言葉が使われる。貿易という言葉は、日本語では普通対外貿易・国際貿易をさすが、中国語では商品の売買・流通を意味する。今日の中華人民共和国(以下、中国)では、市場は都市でも農村でもいたるところで見かける。市場では庶民の生活にかかわるあらゆる物が売り買いされる。市場はまさに現代中国の経済と社会の縮図であるといってよい。

もっともこうした現実は、社会主義体制をとる中国で一貫して見られた現象というわけではなかった。市場に品物を持ち込む人々の多くは、小商人であり、都市近郊の農民である。中国では、1956年に商工業の社会主義改造が基本的に完成した。政府は、経済活動を“計画性”にもとついて統制することが「共産主義社会」へ至る発展であると考えたけれども、これ以降も自由市場は国営・集団所有制商業を補完するものとして容認された。しかし、農民たちは国営商業機関に供出すべき品物を自由市場にもって行って売った。公定価格と自由価格との差があまりにも大きかったからであった。その結果、57年10月の食糧市場廃止を機に自由市場は事実上禁止されてしまった。60年代初頭の経済調整時代には政府の管理の下で復活した。公有制の優位が極端に強調された文化大革命の時代(1965~76年)には、自由市場は「資本主義のシッポ」としてきびしく批判され、ほとんど閉鎖された。しかし、78年末の改革開放政策開始によって自由市場にたいする政策が抜本的に変更された。同年12月の中共11期3中全会公報は、「人民公社の自留地・農民の家庭副業・農村の自由市場における取引は社会主義経済の必要な補完部分であり、いかなる人もこれに干渉してはならない」と述べた。こうした政策をうけて、78年末には工商行政管理局が四川省大竹県で「全国自由市場交易座談会」を招集し、農村自由市場の名誉回復が行なわれた。80年8月には藩陽市で「都市の農副産物市場座談会」が開かれた。こうした政策変更の結果、79年からは全国的に急速に復活し、今日では津々浦々でみることができる。

中国の市場は、地域的には「農村の自由市場」と「都市の農副産物市場」とに分けられる。中国を旅行してよく目にするのは後者である。地域の工商行政管理局が設立した市場に農民たちは自家生産物を持っていき、市場管理費を払って自分に割り当てられた屋台なり地面で商売をするのである。市場の呼称は地方によって異なり、華北では「集」、華南・西南では「塘」「場」と呼ばれる。都市の農副産物市場は基本的には毎日開かれているが、農村の市場では2日毎、 3日毎、5日毎などの定期市がある。市を開く時間帯でいうと、「早集市」「露水市」(ともに朝市)、「夜市」(夜の市)がある。その他に、宗教的施設ともいうべき寺廟の行事にあわせて開かれる「廟会」(廟の縁日)、古着などの古物を売る「跳蚤市場」(蚤の市、ボロ市)、役畜の取引を行なう「騾馬大会」(馬の市)などがある。また、政府の管理が及ばない非合法な市場を「黒市」(闇市)という。

筆者にとって最も思い出深いのは、北京の王府井大街が東安市場の北で交差する通りで開かれる夜市である。初めて北京の友人に連れていってもらったのは84年の夏であった。その後は87年夏と95年の夏に現地研修の引率で1か月滞在したおりに1、2回でかけた。提灯やぼんぼりが小さな店の軒先に吊されて夕涼みの人々がいたるところで立ち食いをしていた。初めて見物に行ったときには夜市の長さも200~300メートルと短かったが、87年に行った時には500メートルを超えていたのではないか、と思う。年毎に賑やかさを増している。夜市には、うどん類やくし焼きなど全国各地の郷土食の店が軒を連ねている。人々は(もちろん筆者も)夕涼みのためにというよりも、安くて手軽に夕食を楽しむためにでかける。1回1~2元で2、3食エンジョイするとお腹がふくれてしまう。羊肉その他各種の串焼き、乾しフルーツが入った甘い八宝粥、温州のつみれスープ、蘭州の牛肉うどん、緑豆でつくったトコロテンのような味の涼麺、ごまあんの入った寧波のお雑煮、四川のピリカラうどん、山西省名物の刀削麺など、甘いの辛いの、熱いの冷たいのと何でもある。満腹になったあとで、嗅いだことのないうまそうな匂いに鼻をびくつかせて「しまった」、と思うこともある。食物ばかりではなくて、上海や広東から運ばれてきた最新流行の衣類も売っている。デパートなどで売っているものより安いのは言うまでもない。夜市で気に入った掘出物が手に入ったらそれも楽しい。

もっとも、最近は日本のスーパーマーケットのような自由市場も出現しているらしい。ここで紹介するのは、上海市の国定路橋に96年6月に開かれたばかりの農貿市場である(上海『新民晩報』1996年6月20日)。ここは天井のある自由市場で、面積3000平方メートル、内部は水産物・家禽類・野菜・鶏卵・肉類・豆腐類など10の部門に分かれている。地面はコンクリートとタイルを敷きつめてあり、客が往来する通路幅は3メートルと広い。250人近くが出店できるスペースが用意されている。鮮魚用の水槽があるだけでなく、家禽類を保管するための鉄の長い檻があり、檻の下に落ちた家禽の糞尿は水で除去できるように考案されている。こうして自由市場が醸しだすあの臭いの発生を抑えられるようになっているという。売り子たちはみな白い制服を着て、使う秤はすべて電子計器であるという。衛生的になり、価格も標準化して売り子に騙されるおそれもなくなったが、市場が醸しだす猥雑なバイタリティーも低下してしまったか、と思うと残念な気もする。

改革開放政策の開始から近年までの自由市場の興隆を全国的な数値からみてみよう。全国で開設されている自由市場数は1990年では7万2600か所、78年比で2.18倍になった。このうち都市の自由市場数は1万3100か所で、5.9倍、農村の自由市場数は5万9500か所で、1.79倍になった。自由市場における取引額は2168億2000万元で、78年比17.3倍になった。このうち都市の自由市場における取引額は837億8000万元で、71倍弱、農村の自由市場における取引額は1330億4000万元で、10.6倍になった。都市と農村とをくらべると、都市の自由市場のほうが数は少ないが、開設数でみても取引額でみても急激に成長している。自由市場で取引される品物についていうと、90年の穀物・食油類の取引額は146億8000万元で、78年比では7.3倍、食肉・家禽・卵類は618億8000万元で、28.2倍、水産物は182億4000万元で、35.1倍、野菜類は264億2000万元で、18.5倍になった。農村の自由市場では各種の農業生産財も売買するようになったが、この取引額は23億元で、2.2倍になった。農耕や運搬に使役する大家畜の取引額は383億元で、1.83倍になった。水産物や農家の副業として生産される食肉・家禽・卵類の取引増が著しい。

それでは、1978年から90年にかけて、自由市場で取引された品物の価格はどのように推移したであろうか。78年の価格を100とする自由市場で取引された消費財価格の指数は、90年では220であった。これを代表的な品物についてみると、穀物類では149、食用植物油では152、生鮮野菜類では245、食肉・家禽・卵類では24g、水産物では347、日用雑貨類では275であった。78年を100とする商品小売価格総指数が90年には208、都市住民の消費価格消費総指数が222、農副産物購買価格総指数が274であったから、自由市場における取引価格が際立って高騰したということはなかったと思われる。

都市の自由市場における取引額の79年から89年にかけての伸長を、都市の国営商店の小売販売額を基準(100とする)にしてみると、穀物類では79年には1.48%であったが、89年には4.11%に伸びた。食用油は1.39%から8.18%に伸びた。豚肉は2.87%から97.05%に伸びた。これは、自由市場における取引額と国営商店におけるそれとがほぼ同じであるということを意味する。こうした現象は以下の品物ではさらに顕著である。牛羊肉は合計で11.47%であったのが、牛肉が164.76%に、羊肉が211.69%に伸びた。卵は3.45%から102.83%に伸びた。野菜類は6.74%から139.14%に、水産物は10.39%から183.66%に伸びた。家禽類は18.87%から232.35%に伸びた。近年では、市場は都市に住む人々の生活に欠かすことのできない品物を供給する経済ネットワークになっているのである。

さて、食材や日用品などを中心とする様々な小商人の店舗が軒をつらねた自由市場について、今まで述べてきた。農村の自由市場のなかには、「農村専業市場」と呼ばれる市場が近年では形成されている。これは、1978年の改革開放政策以来農村に郷鎮企業(農村部において農民が起こした企業)が誕生して成長した結果形成された市場である。中国で最も有名な「農村専業市場」は、断江省温州市永嘉県橋頭のボタン市場である。90年代初頭では、近郊の130社以上のボタンを生産する郷鎮工業や全国の300社以上のボタン工場が1400種類以上のボタンを同地のボタン市場に供給していた。ボタンを必要とする各地のアパレル・メーカーが全国からここに買い付けにくる。この他に、河北省磁県にはプラスチック廃材を扱う市場があり、プラスチック製品を生産する県内の郷鎮企業に材料を供給している。シルクを扱う江蘇省呉江県の東方シルク市場や、メガネを商う江蘇省丹陽県のメガネ市場、湖南省湘郷市潭市鎮の鶏卵市場なども著名である。こうした専業市場はある種の製品に特化した市場である。卸売り市場の役割をもっているが、一般の人々が客として買いにいってもよい。品物の大半が郷鎮企業の製品であり、国有企業の製品より割安である。これは、労働コストがやすいことによる。89年時点で、全国の農村専業市場は8875か所、全国の自由市場の12%を占めていた。取引額411億元で、全国の自由市場取引総額の21%に達していた。製品別でみると、農副産物の卸売市場が1313か所、工業製品の市場が3340か所、廃品などのリサイクル市場その他が4222か所であった。農村における中国型資本主義の発展を象徴する市場である。

初出誌情報

内田知行1996「市・市場:5.中国の市場」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第6号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.123-126.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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