葬儀:中国―北方漢民族

内田知行

〔山西省の農村の葬式〕

これから紹介するのは、華北の山西省の農村で行なわれている葬式である。これは、友人のT氏が1992年7月、80余歳でなくなった実母 をとむらったさいの経験を語ってもらったものである。場所は省都・太原市から車で2時間弱の楡次県の農村である。

葬式は3つの段階の儀式からなる。第1段階は「焼夜紙」(夜紙を焼く)。第2段階は「守霊」(霊を守る)。第3段階が「出霊」(霊を送る。「送霊」ともいう)である。これらすべての儀式をとり仕切るのは、村に住んでいる「陰陽先生」(「風水先生」とも呼ばれる)である。彼はいわ葬式の総監督である。第3段階がおわるまで毎日、自宅からかよって朝から晩まで葬式の指図をする。陰陽先生は葬儀を専門に請け負ってはいるが、かと言ってそれで生計をたてているわけではない。先祖代々陰陽先生の稼業をやっている家であるが、普段は百姓をやっている。T氏によれば、文化大革命の時代も陰陽先生は健在で、村で葬儀があればいつも彼がとり仕切っていたという。

「焼夜紙」の儀式。これは、冥途の閻魔さまに死者の戸籍登録をする儀式である。生きている中国人にとって戸籍の存在はきわめて大きな意味をもっているが、死んでもやはりなおざりにしてはならない。まず紙で作ったお礼(いわば冥界で流通する紙幣)と紙で作った花とを用意する。これの制作は身内のなかの女性の仕事である。親族や友人は総出で「閻王廟」(「鬼廟」ともいう)までいく。沿路、紙のお札や米粒、清めの酒などをまきながら進む。閻王廟で紙のお札や花を焼く。これによって、死者の霊魂が冥界に送られる。帰りはもときた道を通ってはならない。これは、霊魂が家にまい戻れないようにするためである。いまでは閻王廟が打ち壊されてなくなってしまった村もあるという。こうした村では、もと廟があった場所にでかけて儀式をするという。こうして霊魂がまずさきに送られるが、遺体、すなわち霊はまだ家に安置されたままである。第2、第2段階では、霊をとむらい、送る儀式が行なわれる。

「守霊」の儀式。これは、親類・友人たちが故人の死を悼みながら大いに飲み食いする儀式である。期間は3日ないし7日と長い。葬式のハイライトである。死者が60歳以下であると3日、60歳以上であると7日続ける。中国語の発音では四は「死」と、五は「無」と同じであり、凶を意味する。六は縁起のよい数字である。だから4日・5日・6日間はないという。毎日、参会者に昼食または夕食を供応する。来客は毎日、20~30人くらいある。客は現金や品物をもってくる。故人と特別に親しかった人は両方もってくるが、ふつうは現金をもってきたら品物はもってこない。もっとも、品物をもってくる人のほうが多いという。T氏の実家では、最も高額の現金をもってきた人は100元、最も少額は1元であったという。ずいぶん大きな開きがある。親が死んだ場合、通常は嫁いだ娘がもってくる香典(に相当する中国語があるかどうかは聞き忘れたが)が最も高額であるという。品物ではなにをもってくるかというと、布地・花輪や、紙で作った花や家(紙で作った中国住居の精巧な模型で、室内には家具・電気製品をはじめとする各種調度品もある)などをもってくる。花輪は日本では黒白が基調であるが、中国では黒は使われない。白を基調としてピンク・ライトブルーなど淡い色彩が使われる。紙の製品は後述する第3段階の儀式につかう。たいていは布地をもってくる人が多いという。布地は藍色や黒が多い。白の布地は送らない。また、いわゆる既製服も送らない。さて、参会客には料理や酒を供応する。もちろん肉の料理は不可欠である。葬式は中国では「白喜事」(白い祝いごと)である。料理に使う肉や油は普段よりもずっと多くするのが、客にたいする熱烈招待である。肉や油がすくないと、客はあとでけちんぼうと陰口をたたく。精進料理などはもってのほかである。主食には饅頭(マントウ。小麦粉の蒸しパン)や「花巻」(これもマントウの1種で、くるくると巻いた形になっている。巻きかたの組合せでさまざまな形に仕上げることができるので、この名がある)をだす。

「出霊」の儀式。この儀式は「出霊」と「入土」の2段階からなる。「出霊」は、①入棺、②「奠礼」、③「出殯」からなる。「入土」は、④ 「実霊」、⑤すべての紙の製品を焼く儀式、⑥「加土」からなる。①は、文字通り、数日家に安置されていた遺体を棺桶にいれる儀式。②は家族・親族一同が大声をあげて泣く儀式。友人はこれには加わらない。③は、棺桶をかついで村のなかをねり歩く儀式である。数人からなる楽隊が先頭になり、笛をふきどらをたたきながらねり歩く。4時間から長ければ4時間くらいまわる。楽隊は専門家ではなくて、普段は百姓をやっている人びとである。いよいよ棺桶が墓地(今ではたいていは一族の共同墓地)につくと、「入土」が始まる。まず④、すなわち女性が号泣する儀式で幕があける。これは親族の女性が担当する。非親族は泣かない。つぎに、冥途でも故人が金や生活に困らないように願って⑤をやる。日本人も棺桶のなかに小銭をいれるが、中国人はそんなみみっちいことはしない。冥界銀行の高額紙幣のぶ厚い札束を焼くのである。それから⑥、すなわち棺桶の上に土を盛る。これは家族のなかの男の担当である。こうして「出霊」の全過程がおわる。この儀式は一般に参列者数がもっとも多い。T氏の実家のある村は人口4000余人であるが、280余人の参列者があったという。

中国の葬式では、葬儀の主宰者はかならずその家の長男でなければならないという。長男が都会にでて、弟が父母のめんどうをみて実家の 跡を継いでいても、長男が主宰する。また、嫁いだ娘たちは主宰者側ではなくて、親族になる。このへんは、日本人の考え方と異なる。女系家族はだれが葬儀の主宰者になるのか、とT氏に聞いた。娘が婿をとり、その婿が主宰者になるという。いずれにしても、主催者は男子でなければならないのである。ここには、「子」というのは男子であって女子は含まれないという中国人の伝統的観念が生きているように思われる。また、もう一つの伝統的観念、男子均分は葬儀の経費負担原則のなかに生きている。嫁いだ娘たちはこの負担から免除される。もっとも、現実には兄弟の実収入を考慮するから、若干の差異は生じるという。

葬式にかかる経費はばかにならない。T氏の実母の葬式では総額で約2600元かかった。やはり、92年、村で運輸業をやっている金満家が葬式を出したときには、8000元もかけたという。金のない家では借金をするところもある。そういう場合は、近しい親族から無利息で借りるという(婚礼費用の場合は、慶事であり借金額も大きいので、利息をつけるという)。山西省の農村では、農民の1人当たりの年間純収入が568元、1人当たりの年間生活消費資出が496元、同生活消費現金支出が347元であった(1991年。『中国統計年鑑1992』参照)。いまの中国では子供をいれて家族4人が平均的農民家庭であり、統計にみるかぎりでは山西省でも家族4人の農家が最も多い。2600元を兄弟5人で負担すると、1人当たり500元以上。香典収入が若干あるとしても、前記の収入・支出水準を考えると大散財であろう。

T氏の実母の葬式は2600元かかったと書いたが、その経費の大半は「守霊」の供応費として使われたという。その他には、陰陽先生の謝 礼として200元(相場は100元)、合計7人の楽隊への謝礼として250元を支出した。また、葬式のときに家族が着る「白衣」(白装束。「孝衣」ともいう)をつくる白生地を約200m分買った。白装束と訳したが、これは喪服である。週1回(最初の年)の供養、百日目の供養、1 周忌、3周忌(最後)のときに毎回着る。日中は同文同種のはずなのに、喪服は黒ではないのである。だから、日本人が好む白無垢の花嫁衣裳などは中国人にははなはだ奇異に映るにちがいない。さて、T氏の実家では、1963年に祖母が亡くなったときの葬式費用が150元余、1981年に実父がなくなったときの費用が300元余であったという。インフレを考慮しないで単純に費用をくらべると、3度目の葬式は最初の葬式の2倍、3度目は2度目の9倍弱である。山西省の農村では、農民の1人当たりの年間純収入は80年から91年にかけて3.6倍に増えたにすぎない(『中国統計年鑑1992』)。改革開放後の葬儀費用の増加は、すくなくともT家では、きわめて著しい。面子を重んじて葬式にパッと散財したあとは毎日の生活に汲々とする農民のイメージがなんとなく思い浮かぶ。もっとも、日頃うまい物には縁の薄い農民にとっては、ただで飲み食いできるまたとないチャンスではある。「出賓」のさいの楽隊の行進なども、変化の乏しい農村の生活にとっては一種の潤いになっているのかもしれない(というのは不謹慎な解釈だろうか)。

〔上海市近郊農村の華式風景〕

次に紹介するのは、上海市近郊農村における葬式風景である(『新民晩報』1992年10月27日)。こちらは新聞記事であるから、内容がやや雑駁であるが、それでも最近の世相がうかがえる。同地区においても、近年、葬式費用が急激にふえているという。ある村では、1戸当たりの経費が平均して1500余元であるという。

原因の1つは、経済力がついたのをよいことに見栄を張りたい農民がでてきたことであるという。ある村の陸家では、子供のなかに工場長がおり、幹部がおり、個人事業者がいた。金も力もあるという家柄である。子供らが得意げに吹聴したところでは、かれらは亡父の葬式に2万元もつかったという。名僧を10余人招いて読経をしてもらった。人に頼んで亡父のために紙の冷蔵庫・テレビ・乗用車まで作らせたという。

飲み食いの供応費に金がかかるというのも、原因の1つであるという。ひとつには80歳を超えた長寿の老人の葬式は慶事であるとする農村の風習が関係している。ある村で92歳の老人が病死した。家族はみんな彼のためにお祝いをしようということに決めた。遺体が火葬された日、家人は大きなレストランを借りきって親族・友人を招いた。20数卓の大宴会になったという。1卓10人とすれば、200人を超える。総額5000元以上かかり、子供たちは1人当たり1000元負担したが、みんな「なんのこれしき」と豪語したという。

経費がかさむもう1つの原因は、自動車であるという。当今の農村では、冠婚葬祭をするのに「車がなければサマにならない」という意識がある。ある村の張家で、祖母が亡くなった。家人はマイクロバスを2台、大型トラックを3台借りきった。親子4代、親族・友人を満載した5台が家と火葬場を往復した。車代だけで1日数百元が消えたという。

上海の新聞記事からは、新旧の原因がからまって、当今とむらいに金がかかる事情が知られる。もっとも葬儀はどこの社会にもあることだけに、もって「仙山の石」としなければならない。

初出誌情報

内田知行 1993「葬儀:2.中国―(1)北方漢民族」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第3号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.136-139.

お読み下さい

ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

葬儀:目次