タブー、マナー、エチケット:エジプト―生活習慣上のタブー

磯崎定基

641年4月にアムル・イブン・アルアースに率いられたイスラーム軍は、現在のカイロ南方郊外にあったバビロン要塞を落とし、次いで6月にはアレキサンドリアを攻略してビザンチンの勢力をエジプト国外へ追放することに成功した。爾来エジプトのイスラーム化は序々に進められ、幾つかのイスラーム支配者による独立王朝時代を経て今日に至ったのであるが、現在では総人口5,600万のうちムスリム(イスラーム教徒)が90%を超えるほどに増え、イスラーム以前からの伝統的宗教であったキリスト教コプト派の信徒数は10%にも満たない状況となった。ムスリム数が圧倒的多数でしかもイスラーム化して以来千数百年も経ていることからエジプト人の日常生活での慣習事項にはイスラームの教えにそって形成されたものが多いことはいうまでもない。本稿では従ってエジプトに限定することなく、ムスリムの生活スタイルー般を記述することで課題に対する責任を果たすことにしたい。

イスラームの基本教義が聖典『クルアーン』に基づくことはご承知と思うが、聖典にはたとえば「礼拝せよ」とあっても、いつ、どこで、どのような形式でそれを行なうべきかなどについての具体的な指示までが記されているわけではない。聖典内容の実際的な指導あるいは説明は預言者ムハンマドの言行によらねばならなかったのである。預言者生前には様々な事柄に関し、直接教えを受けることができたが、残後には彼の言行録を集めた伝承集(ハディース)に記される彼の生活様式が、いわばかくあるべしという典範となり、ムスリム独特の生活スタイル形式の元となった。周知のように預言者の伝承集には六書とも通称される六種の正伝集があり、聖典「クルアーン』に次いで尊ばれているが、その記述には同一事項に関しても差異があって、一体どれを範とすべきか必ずしも明確でない面もみられる。これらが長期にわたる法学者らの努力で次第に整理され、現在みられるような統一された様式あるいは解釈が定められるに至ったのである。イスラーム法学者らは現世での人間の行動を宗教的見地から認められる行為(ハラール)、認められない行為(ハラーム)の2種に大別し、更にそれを五つのカテゴリーに分類した。それらは①義務行為(ファルド)②推奨行為(スンナ)③許可範囲内行為(ムバーハ)④不可行為(マクルーフ)⑤禁止行為(ハラーム)であるが、さしあたり①②③はエチケットやマナーに関連し、④⑤がタブーの範疇に属するものと考えてよいと思う。いずれの宗教でも開祖や指導者らの言行は理想化され、誇張されて伝えられるむきがあるが、前述したように、イスラームでも預言者ムハンマドの行動様式は理想的範例とされており、これに少しでも近似することが最も望ましい信徒の姿として憧憬されている。現世での生活の有り様が来世での至福につながるとの信仰もあってイスラーム流のマナー、エチケット、あるいはタブー事項を説く書物は多い。以下はそれらを参照しながら、極く日常的な事柄を選んでまとめた内容である。先ず、清浄さについては預言者の言葉「清浄なることは信仰の半ばに当たる」が広く知られているだけに、イスラームでは特に重視される。言葉の意味は信仰には魂の清浄さと身体の清らかなることが肝要であるというもので、魂の不浄は多神教の信仰、悪徳にそまることであり、また身体上の清らかさとは外面上の汚れを落とすことばかりでなく、よきマナーで行為することも意味している。

ともあれ具体的な指示として、起床就寝に際しよく手を洗うこと、キブラ(マッカの方角)にむかってトイレなどの用をたさないこと、男女にかぎらず大小便は必ず座して行ない、また、はねかえらぬようやわらかな地面を場所として選ぶこと。変った注意としてはトイレに行く場合には靴と帽子を必ず着用することなどがある。左手は不浄物の処理に用いるため右手のみが食事や礼拝前のウズー(洗浄)の折使われることはご承知と思う。人前で鼻毛をぬいたり、つばをあちこちに吐くのが嫌われるのは万国共通であろう。樹液の多いミスワークの小枝を使って預言者は常に歯をみがいたと伝えられるが、歯の汚れも不作法とみられる。預言者はまた香料を好み起床後やトイレの後で必ずそれを用いたという。モスクに入る前の注意としてはウズーを済ませ、ひげ、毛髪、つめなどをよく手入れすることが肝要とされる。

衣服については、それが個人の名誉やモラルの表象ともなる故、品性と美に欠けない類いを着用せよとあり、『クルアーン』8章26節の「身体の隠所を覆え」という言葉がこれに関連してよく引用される。アダムとイブが罪を犯し、優雅な天国の衣をはがれた時「彼らが木の葉で先ずその隠所を覆ったことを想起せよ。奇態で過度に肉体を露出するような類いは本来の衣服の目的にそわない」という言葉もある。イスラームでは衣服は人間のみに与えられた神の特別な恩寵とされ、それだけに清潔で、素朴な服装が神に対する感謝の表現として重視される。

預言者は新しい衣服を着る者は古衣を貧者に与えるようにと述べ、さらに、白い衣服が男性には最適であると推奨している。生涯白布の衣服を着て過ごし、死後は白布の経帷子で埋葬されるのを最善としたわけである。預言者自身も白布を好んだが、着用に際してはシャツ、ズボン、靴に至るまで右腕右足側を先にし、脱ぐ時には左側を先にするのが彼の習慣であった。なお、くるぶしの下までたれるような衣服は着る者の傲慢さを表わすとして嫌い、下着については、ふくらはぎの半ばに達する程度が好ましいとの言葉も残している。預言者が絹製の衣服を嫌い、とくに男性がそれを着用するのを厳禁して女性のみに許したことも知られるが、男性が女性の衣服やそれとまぎらわしい類いを着ることも嫌悪された。同様に女性が薄物や身体の線を露骨に表わすような、きつめの衣服を着ることも禁じられる。裸体同然とみなされるからである。預言者はアスマという女性が薄物を着て近づいた時、顔をそむけながら、「顔や両手以外人前にさらすのはよくない」といって厳しく注意したと伝えられる。女性はスカーフで頭部や胸部を覆うようにとは「クルアーン」24章31節の言葉であるが、華美な衣服は不遜、虚栄とみられる故避け、質素でも清潔でさっぱりした衣服を着るのが望ましい。半ズボンやノースリーブシャツなどでモスクに入ることは非常識として非難される。

飲食に関するマナーでは食前に先ず両手をよく洗うことが大事で、これは勿論右手指を使って食事する習慣のためである。フォークやスプーンの使用が普通になりつつあるが現在でも右指をスプーン代わりに使う伝統的食法を守る人々は少なくない。なお、この場合小指を除く4本の指先で食物をつかむことが肝要で指の根本まで使うのは不作法とされる。食前に「神の御名によって(ビスミッラー)」と唱えるのが慣習であるが、皿から食物をとる場合、手近の端からとること、皿の真中や他人の前から食物をとるのは非礼とみられる。食物を下に落とした時には拾い、洗ってから食するようにとの指示もある。嫌いな食物に手をつけぬのがよいマナーで食物に対する文句をいうことは、壁に寄りかかって食事するのと同様最低のマナーとみなされる。なお座食が最良とされるが、立食も違法ではない。あつ物を息を吹きかけて冷まそうとするのは非衛生であるとして嫌われる。コップの飲み物は3息ほどに分けて飲むこと、いわゆる一気飲みは不作法とみられる。かつては招待された場合には早目に出席して食前に飲み物などで談笑し、食後はさっさと席を離れて帰るのが礼儀とされたようであるが、これはすぐ後で残り物を女子供が食べるためであった。また、招待された食事を堪能し、満足したことの表明としてげっぷをくり返すことも招待主に対する礼儀とされた。

なお、ムスリムには右側に立ち「神の御名によって」と唱えた後、動物の頸動脈を一気に切る殺し方(ザバハ)をされた肉(ハラール肉)以外には口にすることは許されない。野獣に食われたり、崖から墜死したり、絞め殺され、あるいは打ち殺されたりした動物の肉はハラーム肉といわれ禁じられる。豚肉をムスリムが絶対に口に入れないことはご承知と思うが、その皮の使用はさしつかえない。動物の血、腐肉、それにこの豚肉は非衛生の最たるものとして嫌悪され、またアッラー以外の神に捧げられた食物もタブーとされる。イスラームでは酒、アルコールの類いはギャンブルや利子をとる行為共々厳禁されており、とくに飲酒の場合違反すると80回の鞭打ち刑に処せられるきまりがある。

歩行上のマナー一としては、目をやや下方にむけ、左右にきょろきょろせず、道路の真中を威厳をもって歩くのが望ましいとされる。友人との同行には歩調を合わせ先んじないこと、先行は優越感の表象とみられる。男女が共に歩くのはよくないとされ、女性は男性とやや離れて後方の道路端側をつつましげに歩くのがよいとの忠告もある。裸足や片ちんばの履物も禁じられる。女性は外出の折には、香りの強い香料をつけてはならないという預言者の言葉も残っている。

痛ましい事故や不幸にあった時、ムスリムは「我らはアッラーのもとに帰りゆくべきものなり」という「クルアーン』2章に記される言葉をきまって唱えるが、これは勿論そのような存在としての己を改めて認識し、全てを神の定めとして静かに受け入れる覚悟をきめるためである。イスラームでは万象が神の予定の中にあると説かれるが、いかなるハプニングであれ、耐え忍ぶことが神への信仰の証しとされ来世での至福に通ずるものと考えられている。伝承集には預言者の言葉として「苦しみや悲しみが強いほど、来世で大きな報償が約束される。神は愛する者らに多くの苦難を与えそれに耐えせしめることで魂を浄化せしめる」というのがある。それ故、過度に泣き叫んでとりみだしたり、不運についてのうらみ言を口にしたりすることは禁じられている。夫を失って悲嘆にくれ、泣き叫ぶ女の口に「土くれを入れてやめさせよ」と命じた預言者の伝承が知られるが、これはその行為が来世でかえって大きな罰をもたらす原因となるのを案じたためであった。

人の死を嘆き悲しむのは人情であるが、上述のように過度にわたることは許されず喪に服するのも3日間だけと規定されており、ほほをたたいたり、衣服をひきさいて悲嘆の情を表わす古来の風習も一応は禁じられている。なお、寡婦の場合は4ケ月と10日が喪の期間とされるが、この間色彩物の衣服、香料、飾り物などの使用は許されない。その間には勿論、再婚はできない。胎児の有無がチェックされる期間でもある。

葬列に出会った場合には立ちどまってそれが通りすぎるのを待つのが死者に対する礼儀となっており、バス、タクシーなども必ず一時停車してそれの通過を待つのが今でもみられる情景である。「異教徒の葬列であっても立って弔意を表わすように」という預言者の言葉も知られる。

極く常識的な事柄であるが、イスラームでも人を訪問する時には必ず予め許可を得ることが肝要とされ、預言者の伝承集には同じ家に住む母親の部屋に入る時にも許可を得るべきであるとの例話が記されている。会合の際には必ず挨拶を交わすことも慣習として守られている。預言者はかつて「イスラームの教えの中で最善なるものはなにか」と問われた時、「貧者に食物を与えることと、知る知らずに関わらず人と挨拶を交わすことである」と答えたという。挨拶を通してムスリムは信仰を同じくする者同士の連帯感が強められ、社会的地位の上下による差別感も解消されると考えている。また先んじて挨拶することは無用なうぬぼれや優越感の解消にも役立つという言葉もある。

イスラームの挨拶では「あなた方に平安を(アッサラーム・アライクム)」という言葉が用いられるが、若い者は年配者に先んじて挨拶し、また会合などでは後からその場所に入る者が先に挨拶するのが礼儀であり、それに対し必ず「あなた方にも平安を(ワアライクム・サラーム)」が返される習慣である。なおムスリムが異教徒に対し、先んじて挨拶するのはイスラームの権威上よろしくないともいわれるが、異教徒からの挨拶には必ず返礼をするようにとの教えがある。握手は預言者のスンナ(慣行)として行なわれ友愛感を深める上に有効とされる。預言者は挨拶も握手も相手に先んずるのが常で、握手した時には相手が手を離すまで自らの手をひっこめることはなかったといわれるが、このような伝承は彼の誠実さを表わすものとしてムスリムには尊ばれている。なおムスリム同士が互いに抱き合ったり、キスしたりする情景もよくみかけられるが、これも預言者以来の伝統的慣習である。笑みを忘れずに人に接することもスンナであるが、過度の大笑はよいマナーとはされない。

なおまた、イスラーム法上すでに4人の妻を持つ者が新たに結婚することや親族間、乳親子関係などの結婚が禁じられ、さらに異教徒間では男性ムスリムの場合啓典の民たるユダヤ教徒やキリスト教徒らの女性であれば結婚相手として認められ、女性にはムスリム男性以外はそれが許されないことは周知の通りである。

イスラーム諸国を旅行する折、金曜日などにモスクに入れず道路上で列をなして礼拝する情景をみかける人も多いと思うが、そのような場合、祈りを捧げる人々の前面には決して立ってはならず、後方で静かに終わるのを待つのが大切なマナーとなっている。モスク内部に入る時には、前述したように、手足の汚れを払い、服装も男子は長ズボンに長袖の上衣、女性は正常な服装に加えてスカーフなどで頭部を覆うことがイスラームの信者に対する礼儀であると共に神聖な祈りの場所としてのモスクに対する敬意につながるマナーである。内部では飲食や無用なおしゃべりは厳につつしむべきである。

これらの他に一般的なマナーとしては以下の事柄もある。他人に悪い話や失望させる話をなるべくしないこと。アラブ人には自分の知らないことでも答えようとする者が多いが、これは彼らの善意のあらわれと理解すべき類いであろう。個人の欠点をあばいたり、陰口、悪口をいうことは、中でも最低の行為としてうとまれる。我々の周囲にはこのような輩が多いが、イスラームの教えをこの際かみしめるべきであろう。生き物を焼き殺すのも禁じられる。これは神のみが行ない得る懲罰とされるからである。なお地方的慣習であるが子供の頭をなでたりするのは、不幸を招く行為として嫌われる。

以上の他にも記すべき事柄は多いが、総じて、般的マナー事象には我々の常識と異なる類いは少ない。ただエジプトを含む中東では宗教上の規定や慣習が厳格に守られている故、異教の徒であっても、旅行する時などには、それらに十分注意をむけることが肝要である。

初出誌情報 磯崎定基 1994「タブー、マナー、エチケット:エジプト―生活習慣上のタブー」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第4号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.123-127.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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