タブー、マナー、エチケット:インド―食事のマナーとタブー
石田英明
(1)右手と左手
学生時代に見たヒンディー映画の一シーンを今も時々思い出すことがある。ストーリーはもちろん、題名さえ覚えていない映画だから、そのシーンが余程気にかかっているらしい。それは夫婦(他に家族もいたかも)が食事をするシーンで、シャルミーラー・タゴール(この女優はしっかり覚えている)紛するヒロインが夫に手ずから一口食べさせるのだが、それがなんと左手であったのである。今思うと、あの場面では妻は夫の左横に並んで座っていたから、右手を使うとすると、とても窮屈に手を振じらなくてはならないので、綺麗な映像にする必要から、晦あいうことになったのかも知れないという気もするのだが、映画を見ていた時には、左手で人に(それも夫に)ものを食べさせたという事実の方に圧倒されて、とても気持ちが混乱したのだった。こちらはまだ学生で、インドの習慣や風習についての知識などほとんど無かったが、左手ではものを食べないという有名なマナーがあるぐらいは知っていて、というか、それぐらいしか知らなかったから、かえって印象が強かったのかも知れない。
食事中になぜ左手が忌避されるのかというと、そもそも左が右(良い、正しい)の反対で、逆とか悪いという不浄のイメージがあり、さらに排便の後始末も左手でするので、左手が食事には使われないのである。そこで、食べ物を口に運ぶ作業はもっぱら右手が受け持つことになる。ご飯とおかずを混ぜ合わせるのも、チャパーティーやナーンなどのパン類をちぎるのも、みな右手の仕事である。それでは食事中、左手はどうしているのか。不浄の我が身を反省し、何もしないでじっと謹慎しているのだろうか。答えは否である。
普通、インドでは、食卓での食事の場合、肘から先を食卓に載せていることが多い。つまり、肘をついて食事をするのである。(この格好は日本では行儀が悪いとされるので、インドでこの格好をするのに初めは抵抗があった。ところが、一旦この格好に慣れてしまうと、とても楽なので、日本でもつい肘をついてしまい、困っている)。さて、卓上の左手が何をするのかということだが、じつは意外に重要な任務を帯びている。すなわち、料理の入った鍋や皿から自分の皿に装う時、必ず左手を使うという任務である。逆に言えば、この時、右手を使うことはタブーなのである。食事を始めると右手には食べ物が付くので、そのままの手で杓子に触れては杓子が汚れるから、マナー違反であるのは明らかなのだが、ここにはそれよりもう少し深い問題が存在しているのである。
それはヒンディー語で
さて、ここで誰でも考えてしまうが、チャパーティーを取る左手とはいったい何なのだろう。左手は不浄の手の筈である。その手で食べ物に触ってもいいのだろうか。この点についての明確な回答は私には分からない。ある説明では、唇に触れるかどうかが重要な点であるらしい。つまり、左手は自分の皿に取る時にだけ使用され、口に運ぶのは右手だというのである。要するに、食事をしている本人には右手の方が浄なのだが、対人的には左手より右手の方が不浄性が強くなるということなのであろう。
以上のように見てくると、冒頭の映画も別の解釈ができるのかも知れない。かの人妻は食事中のことゆえ不浄性の強い右手を使うことを差し控えて、あのように左手を使ったと考えるのである。すべて夫への思いやりと愛情であったのだ。そう思うといじらしくなるではないか。何だか左手に対するわだかまりがすうっと消えていくような気がする。しかし、これは考え過ぎというものであろう。少なくとも現代の都会の日常生活に関する限り、浄・不浄についての細かな意識はかなり薄れてきているからである。数十年前のビハールの農村生活を紹介した書物によれば、お膳の配置における水の位置は右側と決まっていたという。右手で飲むからである。現代の都会人の食事では、左手でコップを持って水を飲んでも何ら支障はない。
このように都会の日常生活においては様子はかなり変わってきたが、農村部では浄・不浄の観念が今なお根強く残っているのも事実である。都市部でも宗教的・儀礼的に改まった場面においては、やはり浄・不浄の問題が生じてくる。そして、それらが口常生活のふとした場面で顔を覗かせるのである。ヒンドゥー教という宗教に浄・不浄の観念が大きな位置を占めている以上、これは致し方ないことであろう。それらには「マヌの法典」に代表される所謂「ヒンドゥー法典」の規定に基くものから民間信仰や迷信に至るまで様々なものがあって、社会生活全般に広く行き亘っている。ここではそれら全てを扱うのは到底不可能なので、食事や料理に絞って見てみよう。
(2)食事
伝統的なヒンドゥー教徒の儀式や作法の規定は『マヌの法典』などの「ヒンドゥー法典」に述べられている。
( )は法典類の名称。
①食事を摂ること
食事は一日に2回(
②会食での儀礼
他の会食者より先に食事を終えてはならない。そうする者はバラモン殺害者と呼ばれる(
③天体食時の断食
日食と月食の時には食事をしてはならない。子供、老人、病人以外は日食の12時間前から、月食の9時間前から断食すべし。天体食が始まると沐浴し、施しをし、祖先の霊にお供えをしなければならない。天体食の終了後、沐浴してから食事ができる。日食終了前に日没すれば、翌朝ロの出の後、沐浴してから食事ができる。月食状態で月が昇れば、翌日は終日断食すべし(
④可食物と不可食物
どういう物を不可食と判定するかについて次の5つの基準を挙げている。
- 食品の性質……にんにく、玉葱など。
- 行為……カースト追放者やチャンダーラ(賎民)や犬に見られた食べ物。
- 時間………調理後長時間を経た物。天体食時に調理された物。
- 異物との接触……犬、酒、にんにく、毛髪、虫などの接触。
- 嫌悪感を催す物……糞など(
)。
肉食と牛について、ブラーフマナ文献には神への犠牲として牛を屠ったことが出ている。牝牛を神に供えてよい(
その他としては、死亡や出産があった家からの物は食べてはいけないとか、食事中に豚、不具者、賎民、犬、烏、鶏、生理中の女を見掛けたら食事を中止すべしというのもある。賎民や生理中の女についてはその声が聞こえるだけで食事を中止すべしというのもある。食べ物の受領を避けるべき対象としてじつに様々な人々がいる。カースト関係については、当初はバラモンはクシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラのところで食事が可能であったが、時代が経つにつれて、シュードラとの関係が規制されていくことが分かる。
⑤食後になすべきこと
昼食後には芳しい香の植物の根や種により喫煙していた(
以上、長々と書き出したが、これでもほんの一部にすぎない。「ヒンドゥー法典」はとンドゥー教徒が行動の拠り所としてきたもので、現代の日常生活ではその通り受け入れることは不可能に近いが、伝統的な価値観を持つ人々には隠然たる影響力を今なお保っている。リグ・ヴェーダを法典の先駆とすれば、その歴史の古さは正に人々を畏服せしむるに申し分ない。紀元前6世紀頃から行動規範を明示する本来の目的を持った法典が徐々に現れ、紀元前1世紀頃の「マヌの法典」が一つの集大成となった。法典はその後も連綿と書き続けられ、また、それらの注釈書の数も膨大である。これらに精通している学者がいわゆるパンディットと呼ばれるバラモンである。
(3)食物
最近はインドを紹介する本が増えて、インド人のいわゆる菜食義者にも様々なレヴェルのあることが知られるようになった。すなわち、にんにくや玉葱などいかにも精のつきそうな物は食べない人、生き物の根を殺すことになるので根菜は食べない人、中には牝牛(g?y)と同じg音で始まるから、にんじん(gajal)やキャベッ(gobh?)は食べないという人もいる。鶏卵は食べてもよいという菜食主義者もいるし、無精卵でなければだめだという人もいる。一方、非菜食主義者にも、鶏肉、山羊肉までの人、豚肉も食べる人、牛肉までも食べる人のレヴェルがある。
台所にも様々な規定がある。台所の床は本来、牛糞を土と混ぜて溶いたものを塗っていなければならない。主婦はちゃんと沐浴し清浄な衣服に着替えてから台所仕事を始あるべきである。野菜作りのカーストは一般に低いし、動物などが触ったり、糞をかけたりしているかも知れないので、運ばれてきた野菜は「穢れ」ていると考えられる。そこでよく水で洗って清めなければならない。台所は神聖な場所であるから、身分の低い者や動物が入ってはならない。それでも、知らず知らずのうちに「穢れ」が入り込んでいるだろうから、素焼きの壺など「穢れ」のつきやすい物は時々新しいものに交換すべきである。
食べ物の授受にも関わる料理の区別にパッカー(成熟)料理とカッチャー(未熟)料理がある。パッカー料理は油で揚げる料理で、穢れがつきにくいとされている。カッチャー料理は水による料理で、穢れに犯されやすいと考えられているたあ、序列が下のカーストの者からは受取ることができない。
以上、ヒンドゥー教徒の食生活に関するマナーやタブーを垣間見たが、以上の他に、祭礼の日の食事、曜日や月齢や星の巡り合わせに合わせて行うヴラトという断食に関わる習慣、通過儀礼(サンスカーラ)と食事など、マナーとタブーを心得ておくべき機会はヒンドゥー教徒の生活に数多く訪れる。これらのマナーやタブーは決して不変のものではなく、時代によって変化していくものである。さらに、インドには民族、地域、宗教、カースト等様々な要因が入り乱れている。従って、人々の生活意識やマナーやタブーの理解も当然異なっている。我々はそれらの逐一を知らなくとも、冷静に観察し、真摯に接すれば、相手が何を望んでいるかが見えてくるであろう。