映画:独自の道を歩むインド映画

松岡 環

インド映画は、世界のどの映画とも異なった、ユニークな特徴を持っている。その特徴とは、

  1. 製作本数が飛び抜けて多い
  2. すべての映画が「ミュージカル」である
  3. 上映時間が極端に長い

という3つであるが、世界中の国がアメリカ映画のマーケットと化し、映画も画一化する中で、このユニークさは目を引く。世界ではたった2国だけ、自国映画のシェアが輸入映画のシェアより圧倒的に勝る国があるが、それがアメリカとインドなのである。アメリカに対抗できる唯一の映画大国、インド映画の特徴と、それが生まれた背景をここでは見ていきたい。

1.製作本数は世界一

インド映画はアメリカ映画に対抗できる存在であると述べたが、製作本数について言えば、インド映画はアメリカ映画を遥かに引き離している。インド映画の年間製作本数は、700本ないし800本。一時は900本を超え、最高記録となった90年には何と948本もの映画が作られている。これは年間製作本数約350本というアメリカの3倍近くになり、文字どおり群を抜いての世界第1位である。アメリカに次ぐ第3位は目本、第4位は香港で、こちらはいずれも約200本というところだから、この3つの国が束になっても製作本数ではかなわないのがインドなのである。

インドの映画製作本数がこんなにも多いのには理由がある。まず、広い国土で話されている様々な言語で、映画が製作されていること。主要なものは、100~150本作られている北インドのヒンディー語と、南インドのタミル語、テルグ語の映画、そして80本前後作られている南インドのマラヤーラム語、カンナダ語の映画、さらに最近は製作本数が減少して30本前後になってしまったが、歴史的に見ると重要な作品を輩出している東インドのベンガル語、西インドのマラーティー語の映画などである。これらの言語の他、1本でも作られている言語を含めると、20以上の言語で映画製作が行われていることになる。中には、日常生活では使われないサンスクリット語による映画などという、珍しいものもある。

インドの州は言語別の編成になっているが、映画が盛んに作られている言語の州の州都には、大規模な映画産業界が存在する。西インドのボンベイ(現在の正式名称はムンバイー)、東インドのカルカッタ、そして南インド4州の州都ハイデラーバード、マドラス(同チェンナイ)、トリヴァンドラム(同ティルヴァナンタプラム)、バンガロールにはいくつも撮影所があり、それぞれの地域の監督やスターを擁して映画製作が行われている。この中でも、ボンベイとマドラスはインド映画製作の中心地となっているが、この両地で作られる映画の製作本数をそれぞれ世界ランキングにあてはめると、フランス映画などと並んで楽々ベストテンに入るという規模の大きさなのである。映画に関しても、まるでヨーロッパ全体が1国になっているのがインドなのだ、と考えるとわかりやすい。

インドのハリウッドであることからその地名をもじって「ボリウッド」と呼ばれるボンベイは、1912年に初めて国産劇映画が、そして31年には初のトーキー映画が作られた街でもある。いつもインドの映画界をリードしてきたボンベイで作られるのは、ヒンディー語やマラーティー語などの映画で、中でもヒンディー語映画はインド全国で人気を保っている。従って、ヒンディー語映画のスターたち、男優ではシャー・ルク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーンら、女優ではマードゥリー・ディークシト、ジュヒー・チャーウラー、カージョルといった顔ぶれは、人々の憧れをかき立てる存在であり、ブロマイドやポスターが全国で売られている。

ボンベイと共に映画の都として有名なマドラスは、南インドにおける映画製作の要となっている。80年代に一時ヒンディー語映画がビデオの攻勢などで落ち込んだ時、マドラスはそれまで蓄えていた資本を投入して最新技術のスタジオやラボを作って映画製作を誘致した。人件費がボンベイに比べて安かったこともあって、一時はヒンディー語映画もかなりの数がマドラスで製作されたが、これがマドラス映画産業界が新たな成長をするきっかけとなり、今日ではボンベイに負けない規模で映画製作が行われている。

また、90年代になるまでは、南インド映画は北インドでは一般一L映されず、南インドでヒットした映画はボンベイでキャストを変えてリメイクされるのが常だった。ところが、92年にタミル語映画『ロージャー ROJA』のヒンディー語吹き替え版が北インドでも大ヒットしたのをきっかけに、南インド映画の吹き替え版が北でも市民権を得ることなる。中でも、『ロージャー』の監督マニラトナムの映画は、社会性を持ったテーマと美しい映像とが観客の心をつかみ、ファン層を全国に広げた。マニラトナム作品に続いて、南インドの大作・話題作がどっと北インドに紹介されたため、南インドの人気スターたち、男優ではカマラハーサン、ラジニカーント、アラヴィンダスワーミ、マンムーティ、プラブデーヴァ、チランジーヴィら、女優ではナグマ、マドゥらが全国的な人気者となってきている。

2.「ミュージカル」映画がスタンダード

インドの映画を初めて見た人がまず驚くのは、1つの映画の中に6、7曲のソング&ダンスシーンが挿入されていることである。他国の映画でも、主題歌が入ったり、主人公が歌手という設定で歌うシーンが挟まれたりすることはよくあるが、歌手でもないヒーロー、ヒロインが歌い出し、おまけにその歌に振りを付けて踊りまで踊ってしまうというインド映画に、慣れない人は度肝を抜かれるらしい。だが、インドではこれが一般の映画形態で、歌と踊りが入らない映画の方が特殊な映画とみなされているのである。

このようにインド映画が欧米映画の概念で言えばすべて「ミュージカル」となったのは、映画が伝統演劇のスタイルを踏襲したことによる。インドは伝統演劇の宝庫であるが、映画製作が開始された当初、伝統演劇から物語の素材や人材を得ていた映画は、トーキー化と同時に伝統演劇のスタイルをも完全に取り込むこととなった。以後60数年の間、挿入される歌の数は徐々に減少してきてはいるが、歌と踊りが入るというスタイルは一貫して変わらず、インド映画を特徴づける大きなファクターとなって今日に至っている。

トーキー化直後は俳優自身によって歌われていた歌は、のちに専門の歌手が吹き替える「プレイバック」と呼ばれる方式が採用され、現在ではごく少数の例外を除いて、プレイバックシンガーがすべての歌を歌っている。歌のシーンは、まず映画の大まかなストーリーに沿って作詞・作曲された歌が歌手によって吹き込まれ、撮影現場ではそのテープが大音響で流される中、ダンスの振り付けが行われていく。ダンスは映画ごとに有名振り付け師がつき、最新のステップを巧みに取り入れたり、伝統舞踊のステップをデフォルメしたりして、ソング&ダンスシーンを作り上げる。

このシーンを、監督とカメラマンは歌が最高に盛り上がるようなアングル、カット割りで撮り、あとは手慣れた編集者が歌のリズムに合わせてカットをつないでいく。こうして、多くは恋の歌であるその内容を上手に表現した、俳優のちょっとした仕草や眼差しも十分に生かされて、メリハリの効いたソング&ダンスシーンができあがるわけである。映画の中で目玉となるこれらのシーンには資金がふんだんに投入され、ワンコーラスごとの衣裳替えは今や当たり前、大規模なセットを組んだり、野外撮影にクレーンを使用したり、時には100人以上のバックダンサーを配したりと、他国の映画界ではとても真似できそうにない贅沢なシーンが展開する。最近では、歌のシーンのためだけに海外ロケをすることも多く、スイスやロンドン、シドニーなどの他、モーリシャスやバリなどリゾート地もよく登場する。

お金をかけ、俳優、歌手から衣裳デザイナーまですべてのプロが総力を結集したインド映画のソング&ダンスシーンは、それだけを見ていても楽しめる。そのため、映画の歌のシーンばかりを集めたビデオが何種類も発売されたり、テレビでも同じく歌のシーンばかりの番組があるなど、ソング&ダンスシーンはミニ映画としても活躍する。また、トーキー化当初から、映画の挿入歌はそのまま歌謡曲として巷に流れ、ヒット曲を生み出してきたことから、ソング&ダンスシーンはインド版ミュージック・クリップとも言える。90年代に入って映画と関係のないポップスも人気が出るようになってはきたが、それでも圧倒的多数のヒット曲は映画の中から生まれる。インドでは、映画が音楽界をも制圧しているのである。

3.3時間の別世界に夢を求めて

さて、最後の特徴である映画の長さについて言えば、普通のインド映画は上映時間が2時間40分から50分となっている。日本映画や香港映画が約1時間半、アメリカの大作でも2時間前後というのが一般的なので、これに比べるとかなり長い。この長さに合わせて、インドの映画館では3時間枠で上映時間を設定し、入れ替えを行っている。

インドの場合、映画の上映は普通お昼頃から始まる。12時、3時、6時、9時、あるいはそれを15分ないし30分ずらしてあるところもあるが、メインの上映はこの1日4回となる。それ以外に、朝10時前後から、モーニングショーと称して旧作の上映を行うこともある。モーニングショーは料金が安くなるが、メインの上映も日本に比べると料金は格段に安い。大都会の一流館で、しかも高い2階席で現在70ルピー(約200円)といったところが相場で、同じ映画館でも1階の平土間席になると約半分に値段が下がり、郊外や地方都市の映画館ではまた料金が安くなる。席は全席指定で、上映回ごとの入れ替え制である。

映画の上映では途中に必ず休憩が入り、観客はロビーに出てタバコを吸ったり、コーヒーやソフトドリンク、あるいはバーガーやケーキなど、軽い飲物や食べ物をとることができる。こうして10分ぐらいリラックスしたあと、また映画の世界に戻っていくのであるが、日本で考えればまるで芝居やクラシック・コンサートのような観賞形態が、インドでは映画に関しても取られているのである。実に贅沢な時間を、映画は提供していることになる。

スターが織りなすスクリーンの物語に引き込まれた観客は、その感動を拍手やかけ声、口笛などで表現する。舞台と違って相手は生身の人間ではないのだが、そういった観客側の反応が場内の雰囲気を盛り上げ、映画の楽しみを倍加させてくれる。これも伝統芸能の観賞スタイルを受け継いでいるのだろうか、同席するたびに観賞上手な観客に感心させられる。

こんな観客たちは映画の出来・不出来をかぎわける能力も備えていて、面白い作品は口コミであっという問に評判が広がり連日満員、時には2年、3年とロングランしたりする。反対にたとえ大スターが出ていようと有名監督の作品であろうと、面白くないものは評論家がいくら持ち上げても客足は途絶える。決して豊かではない観客にとっては、たとえ100円でも少ない収入の中から念出するとなれば大金であり、それを払って惜しくない映画かどうか、慎重に判断が下されるのだ。惜しくない、となれば、2度、3度と見に行くこともある。こういう映画を見る目を持った無数のパトロンに支えられているから、インド映画は今目の隆盛を持続して行けるのである。

しかしながら、ここに述べたような映画とは別種の映画もインドには存在する。ここに述べたような映画を娯楽映画、商業映画と呼ぶのに対し、芸術映画と呼ばれる一群の映画がそれだ。50年代『大地のうた PATHER PANCHALI』(55)で欧米の評論家の目をインド映画に集めたサタジット・レイ監督を筆頭に、70年代にインディアン・ニューシネマと呼ばれる流れを作りだしたシャーム・ベネガル、アラヴィンダン、ムリナール・セーン監督らの作品は、社会問題をテーマにインドの現実をシリアスに描き出し、国内外で高い評価を受けている。だが、これらの歌も踊りも入らない芸術映画は、製作本数も年間20本程度に過ぎず、一般観客の支持は得られないまま今日に至っているのが現実である。

経済成長が加速したとはいえ、その一方で新たな貧富の差も生まれ始めているインド。苫しい現実生活を一時でも忘れたい大多数の人々は、映画に夢を求める。そんな中では、自分たちの現実生活を鏡に写したような芸術映画は見たくないという心情も理解できる。さらなる経済発展により人々が豊かになった時、インド映画も変貌を遂げて芸術映画が人気を勝ち得るのか、それとも新しい伝統芸能としてその地位を不動のものにした娯楽映画が今後も支持を集めていくのか―インド映画の動向は、そのマーケットである東南アジア、中央アジア、アラブ、アフリカ諸国にとっても注目の的である。

〔参考文献〕

松岡環「"南"世界をつなぐインド映画」佐藤忠男、松岡環他『映画で知るアジァのこころ』亜細亜大学アジア研究所、1991。

インド通信編集部『インドがやがや通信』トラベルジャーナル、1994。

松岡環「インド映画の百年史」『別冊宝島WT⑩インド大発見読本』宝島社、1996。

初出誌情報

松岡 環1998「映画:9.独自の道を歩むインド映画」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第7号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.106-110.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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