結婚考:韓国―厳しいモラルと凝縮されたエロス

李妍淑(イ・ヨンスク)

韓国ほど、独身者にとって住みにくいところはないだろう。特に適齢期をすぎた女性、いわゆるオールドミス―韓国語では「老処女(ノチョニョ)」と言う―は、女の生きがいは結婚にあると、いたるところで愛情と心配をこめたお説教にさらされる。このおせっかいな忠告の根拠は、韓国社会を支配している儒教の掟であることは言うまでもないが、ただそれだけではないようだ。韓国人のエロスに対する信念もその背景にある。

韓国語では、乙女のことを何の疑いもなく「処女(チョニョ)」と呼ぶ。この言いかたの底には、女は一生ひとりの男だけに身を許すべきであるし、その男とは夫でなければならないという含みがある。事実、一八九五年の「甲午改革」以前には、女が夫から捨てられることはあっても、再婚や離婚の概念すら存在しなかった。つまり、韓国の女性にとっては、結婚こそがエロスの唯一の窓口だったのだ。

結婚の儀礼のなかにも、このような結婚モラルと、またモラルが厳しいからこそ、一層凝縮されたエロスの濃厚な要素が含まれている。

婚談と「宮合(クンハプ)」

韓国でも、日本のように、男女の出会いのきっかけを基準にして「恋愛結婚」と「仲媒(ジュンメ)結婚」(お見合い結婚のこと)とが区別される。「恋愛結婚」であれ、「仲媒結婚」であれ、結婚を決める際に、いまだに韓国人が非常にこだわることがある。それは、男女の相性を意味する「宮合(クンハプ)」ということである。

ふつう、男女の相性とは、性格や趣味などが合うとか合わないとかを考えがちであるが、「宮合」はそんなに気軽なものではない。それは、人倫の掟をはるかにこえた宇宙の秩序である。つまり、男と女が一体になってこそ、はじめて陰陽の完全な調和が成就される。もし、男女、つまり、陽と陰の不調和のときは、宇宙の秩序が乱れ、男女それぞれが破滅の道を歩まなければならない。

したがって、「宮合」は、人間の浅はかな智慧では計り知れないところがある。

ところで、「宮合」を知るためには、まず「四柱(サジュ)」を知らなければならない。「四柱」とは、生まれた年月日時、あるいはそこに潜んでいる人間の一生の運勢を指す。つまり、「宮合」は「四柱」の相性である。だから、婚談は相手の生まれた年月日時を知ることからはじまる。そして、「東洋哲学」の専門家を自負する占い師に「宮合」を見てもらう。今でもまだ、「宮合」がよくないと判定された相手とは、その人がどんなに社会的、経済的に、また人格的にもすぐれていても、多くの者は、結婚をためらうか、あきらめてしまうのだ。あらゆる困難を乗りこえて愛の勝利を収めた男女でさえ、この「宮合」にこだわるし、信心深いクリスチャンでさえ例外ではない。

「四柱単子(サジュタンジャ)」と「函(ハム)」

いよいよ結婚が決まったら、約婚のしるしとして、新郎の家から新婦の家へ、新郎の四柱を書いた「四柱単子」を贈る。新婦の家でその「四柱単子」を受け入れることは、婚姻と同様の効力がある。「四柱単子」をもらった新婦の家では、吉日を選んで婚礼の日を決めて新郎の家に送る。しかし、近頃では、「四柱単子」は新婦のための衣服の布地(だいたい青と紅色の布地)、装身具、化粧品や時計などといっしょに「函(ハム)」のなかに入れて、新郎の友人たちが婚礼の日の前日に新婦の家に持っていくことが多い。

ところで、「函(ハム)」の中味は、新郎の家の財力をはかるものさしとしてはたらく場合もある。特に、装身具、とりわけ指輪などの宝石の種類と大きさは、財力を直接表わすものと思われている。だから、ときには、かなり無理をして、過度に高価な宝石類を送る場合も少なくない。このような風潮は、韓国が経済的に急成長したこの十数年のあいだに一層強調されてきており、韓国社会が克服していかなければならない深刻な課題とうけとめられている。

「函(ハム)」渡しは、韓国のさまざまな結婚儀礼のなかで、もっとも楽しいもののひとつである。仮面をかぶり、「青紗燈」「紅紗燈」をかかげ、「函」を背負った新郎の友人たちは、「函」を渡す前に、ユーモラスな、しかし少々いじわるなやりとりをしてから、新婦の家に入り、手厚いもてなしを受ける。そして、歌を歌ったりしながら、楽しい時間を過ごす。しかし、それが婚礼日の前日であるので、新郎新婦にとってはかなりの負担になるのも事実である。

婚礼と「幣吊(ぺベク)」

韓国の結婚式は、この半世紀のあいだにおおきく変わった。30~40年前までは、地方によって異なるが、婚礼は新郎の家か新婦の家で行なった。「旧式結婚」と呼ばれるこの婚礼は、まさに共同体あげてのお祭りだった。しかし、いまではほとんどの婚礼が「礼式場(エシキジャン)」という商業的な結婚式場で行なわれるようになった。クリスチャンは教会で式を行なうが、日本のように宗教とあいまいな関係をもちながら式場を選ぶことはない。

韓国の結婚式は、招待状がなくてもわりと自由に参加ができる。だから、うわさを聞きつけた昔の友人がはるばるかけつけて新郎新婦を喜ばせることもあれば、往年の恋人がひょっこりと現われ新郎新婦を困らせることもある。また、このようなオープンな結婚式では、お祝い金をねらう「結婚式場泥棒」にも警戒をおこたってはならない。

結婚式場で行なういわゆる「新式結婚」は、どんなに長くても三十分はかからない。あれで夫婦になっていいのかしらと不安になるくらい、あわただしく、またむなしい結婚式である。

結婚式が終わったら、「ぺベク」を行なうために、新郎新婦はスーツやウェディングドレスを脱いで、「旧式結婚」の衣装に着替える。「ぺベク」は、新婦が新郎の家族に挨拶をする儀式であるが、むかしは新婚夫婦が初夜を過ごした次の日、「われわれはほんとうに夫婦になりました」という報告をおこなうことだった。しかし、いまは、初夜はほとんど新婚旅行先で過ごすので、「ぺベク」を新婚旅行に出かける前にすませてしまう。

だから、結婚式場には「ぺベク室」という部屋が準備されている。「ぺベク」は新婦にとってかなり精神的に緊張するだけでなく、肉体的にもきびしい儀式である。なぜなら、慣れない衣装を着て、新郎の家族ひとりひとりに「再拝」する、つまり、二回体全体を使った「ぺベク」特有のおじぎをし、お酒をつがなければならない。その際、新郎の両親は、自家の「家訓(カフン)」を話したり、嫁としての役目を説いたりする。そして、最後にかならず、「男の子をたくさん産むように」と唱えながら、新婦のスカートの上に、なつめや栗の実を投げる。投げられたなつめや栗は、初夜のとき新郎新婦がいっしょに食べなければならない。多くの実を実らせるなつめや栗は、多産の象徴として婚礼の儀式に はかならず登場する。

「新房(シンバン)」のぞきと新婚旅行

結婚式を終えた新婚夫婦は、日本のような披露:宴はやらないで、新婚旅行に旅立つ。結婚式に参加してくれたお客さんは、式が終わるとそのまま帰る場合が多いが、親しい友人などは新婦や新郎の家に立ち寄り、それぞれ素朴で気のおけない宴を楽しむ。その場には、新郎新婦がちょっと立ち寄ることもあるが、そのまま新婚旅行に行ってしまうことも少なくない。

ところで、家で行なう「旧式結婚」では、もちろん新婚旅行などは行なわない。結婚式を終えた新郎新婦は、「新房(シンバン)」、すなわち初夜を過ごす部屋に案内される。ただし、「新房」は、けっして新婚夫婦だけの密室ではない。初夜はひとに見せるものである。もちろん、部屋の扉をおおっぴらに開けたりはしないが、村の人々や若い親戚の者が、障子に指で穴を開け、なかをそっとのぞく。これは、たんなる好奇心からくるいたずらではない。新婚夫婦を鬼神の嫉妬から守ってあげるしきたりなのだ。

このように公開的な初夜は、その中味も一種の儀礼的な性格を帯びている。たとえば、新婦は自分から新郎に話しかけてはいけないとか、新郎は新婦の足からさわらなければならないとか、こまかい規則が定められている。しかし、今日、とくに都会では、このような「新房のぞき」は、ほとんど行なわれていない。

「新行(シンヘン)」と礼物

新婚旅行から帰ってきた新郎新婦は、新郎の家で「新行」という儀式を行なう。これは、新婦がほんとうに実家を去って、新郎の家の嫁になったことを示す儀礼である。つまり、新婦がそれまで生まれ育てられてきた自分の家の「外人(ウェイン)」になるためのものだ。韓国では、いったん嫁に行った娘は、「出家外人」といい、死んでも実家にはもどれない。日本は、結婚式の前日、両親が嫁に行く娘に別れをおしんで、「つらいことがあったら、いつでももどってきなさい」と言うらしいが、韓国では、「鬼神になっても夫の家の鬼神になるのよ」と言いながら、両親はさびしい気持ちをおさえこむ。

「新行」のときは、たいてい新婦の兄か男の親戚がついて行くが、同行するのは人間だけではない。「花嫁道具」と「礼物」という新郎の家への贈り物が、新婦につれそっていく。それは嫁いびりがないようにと祈る新婦の家の人々の愛情の発露でもある。けれども、その「礼物」は、たんに気持ちをさりげなく表わすといった程度のささやかなものではない。ときには、新婦の家にかなりの負債を残すことさえある。

高度成長期と呼ばれているこの十数年間の韓国社会は、大きく変わり、いまもはげしく揺れ動いている。人々の生活や意識も、混沌や煩悶のなかを歩んでいる。その渦中で、人々の結婚観や結婚儀礼も、かなり変化してきた。しかし、最近は、このような現状に疑問を感じる人々も多くなってきた。ウェディングドレスを拒否して、「旧式結婚」を行なう若い男女も増えてきている。彼らは、結婚式を通じて、民族の伝統を体現しようとしているのだ。

初出誌情報

李妍淑 1992「結婚考:2.韓国―厳しいモラルと凝縮されたエロス」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.81-83.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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