主食・肉食の変化:イラン

原 隆一

1. 所得の増大

革命直前の1978年、1人当たりの国民所得は2,500~3,000ドルと、世界銀行の指標によれば上位中所得国群に分類されるところまでいった。そして、翌年79年2月にイラン・イスラーム革命、80年10月には8年間におよぶ対イラク紛争が勃発する。当然、長期にわたる戦争は国家経済に大きな負担となる。物不足からくるインフレは激しく、不動産所有者、商人、農民など現物をもつグループに比べ都市所得者層を直撃した。

革命後の国民所得をみる数値はない。それは複数為替相場制の存在で、どの交換レートによるかで大きくかわるからである。市民の消費物価に大きな歪をもたらした。

テヘランに住む平均的給料生活者の最近の年間所得を概算したことがある。実質購買力を反映する自由相場で約1,000ドルとなった(SDRI1)にリンクされ、革命後ほとんど変更されていない公定相場とのかい離は約20倍)。比較となる国民1人当たりの所得となるとさらに低くなる。所得は10年間変化ないのに物価は10倍以上というところであろうか。実質的な所得は明らかに減少した。

現政権は基本生活物資配給制度を導入し、羊肉、鶏肉、卵、米、食糧油、バター、チーズ、砂糖、茶、石鹸、灯油、マッチ、ガソリン、その他を自由市場の3分の1から8分の1の安い公定価格で配給した。市民の実質的所得の減少分を国家が補助金でもって補完しようとした。この恩恵は家族消費分の6割前後といわれている。

2. 主食と肉食の変化

(1)小麦

ペルシア語でヌーンは「日々の糧を与えるもの」の意があり、小麦粉からつくった酵母菌の入らない薄いイラン式パンのことである。ヌーンはちょうど日本人の「白い米飯」に相当し、毎日3度3度の焼きたての熱いパンを食べる習慣があり、そのための長い行列もいとわない。時の権力者もこのヌーン(小麦)だけは手を触れることができない聖域である。国家による補助金により価格は革命前後ともほとんど変化していない。

しかし革命後、外資を拒否し「自立経済」を旗印に農業優先策に転換した現政権であるが、国家の意図とは反対に小麦の国内生産量は伸び悩んだ。さらに、人口の急増と合い重なり輸入増加の傾向に拍車がかかっている。

革命前1970年代の年平均人口増加率は約3.1%、革命後のイスラーム政権期になると年率約3.8%という数字になる。年率3.8%という数字は現在の5000万人の人口が17~18年で倍増し、1億人となる数字である。食糧を考える場合、恐ろしい数値である。

(2)米

所得の増大によりパンは一定か減少し、1人当たりの米と赤肉の消費量が比例して増加する現象は、革命前オイルブームにわくイランで典型的にみられた。所得が減少しても、米と赤肉の消費量はそれほど減少していない。一つには、王政期に高い消費生活を味わった国民が、生活レベルを減らすのは難しいことなのだろう。政府も国民にそれを強要すれば政治体制の基盤に響く。幸い、イランには石油がある。オイルダラーを使い外国から食糧を輸入し、それを国民に安く配給している。

イランカスピ海地方の食堂にて(1988年夏)

米は伝統的には贅沢品であった。ご飯をパンで包んで食べることもする。量的によく食べ、食べるとまたうまい。「マハバードで育てられた羊肉と、ラシトで栽培されたドムシアー種の米でつくったチェロ・キャバーブが最高」とイラン人は自慢する。

イラン東部の小さな山村の農民は「子供のころは年に1度米を食べた。大人になるど月1度となり、今は週に1度食べられるようになった」と、生活レベルの向上を米の消費量の増大との関係で雄弁に語った。この村ではクコの実に似たゼレシキが重要な商品で、米の消費量(炊き込みご飯)の増大と比例して、ゼレシキの生産が増加するというパターンをとっている。

イランには「ターロフ」という言葉がある。「お世辞」「見栄」であろうか。なかなか訳せないが対人的、社会的な意識であり、客がくると借金してもご飯をだそうとする。数量化できないが社会心理的要因による米の消費量もばかにならない。米もまた国内生産の不足分を外国から輸入し、それを配給制度にのせている。

(3)肉食

イランでの肉といえば羊肉であり、消費量も他の肉に比べ圧倒的に多い。この他、山羊肉、牛肉、ラクダ肉、それに鶏肉と魚肉などがあげられる。豚肉はイスラーム教徒にとってハラーム(宗教的に禁止)肉である。

統計をみると、年々、国内で屠殺される家畜量が減少し、反対に輸入肉の量が急増している。やっかいなことに、イスラーム教徒の手で屠殺した肉以外は宗教上好ましくないとされ、わざわざ海外にでかけ屠殺に立ち会っている。

最も好まれる羊肉の生産の比率が相対的に減り、その代替および蛋白不足を補うため他の肉の需要が増えている。カスピ海地方は降水量が多く、日本の農村風景に似ている。米市や家畜市がさかんで農民、仲買人、博労、商人などが出入りしにぎわっている。ここの家畜市の中心は雄牛である。もともと雄牛は起耕をはじめとする農作業における生産手段としての役畜であったが、1970年代前半より日本製小型耕運機の普及で不必要になってしまった。他方、これを救ったのが王政期の消費拡大にともなう赤肉の需要増大である。現在はこの食肉用の家畜市が盛況である。

鶏肉も増加している。革命後の肉不足を補うため、農村復興聖戦隊省が雛を欧州から輸入し、それを農民に配給し、成育後回収する制度をつくった。このため、1980年前半は全国各地の耕地に「雨のタケノコ」のごとく鶏舎ができた。農民にとって稼ぎの筆頭になりブームになった。

蛋白不足を慣れない魚肉で補おうと、政府は躍起になっている。伝統的にはカスピ海(海水の10分の1の塩分)、およびペルシア湾沿岸地域の住民が消費していたにすぎなかった。内陸部での淡水魚の消費はきわめて少なかった。

カスピ海には2m近くあるキャビア魚が棲息している。シャーの時代には鱗がない(イスラームで禁止)ことから輸出用のキャビア採集のみで、その肉は食用にはなっていなかった。イスラーム政権になると、顕微鏡で詳しく観察した結果、わずかながら鱗が見つかり、宗教上の禁止が解かれたという経緯がある。肉不足解消のための苦肉の策であった。

最近は前述の農村復興聖戦隊省が中心になり、中国の技術指導で溜め池などを利用して、これまでなかった淡水魚の養魚もなされ始めている。所得の減少にもかかわらず、米と肉食の需要はあいかわらず多い。所得の減少分は国家が石油を輸出した代金で食糧を輸入し、低価格で国民に配給する制度で補っている。国内の小麦生産量に比べ人口の急増(自然増に加え難民などの国外からの流入や農村から都市への流入による社会増も激しい)は、国家の財政負担の急増となり、経済政策そのものの見直しの時期にさしかかっている。それによって国民の食生活も大きくかわるだろう。

1)specialdrawingrightsのこと。特別引き出し権と訳す。国際通貨基金(IMF)の支払い準備資金の一つ。加盟国は出資額に応じて、外貨不足の際にこれを対貨として外貨または自国通貨を取得できる。

初出誌情報

原 隆一 1991「主食・肉食の変化:5.イラン」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第1号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.111-113.

お読み下さい

ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

主食・食肉の変化:目次