市・市場:イスラム・フードシヨツブとロテイ・プラタ

福家洋介

今年(96年)のラマダン(断食月)明けの祭りでは、約10力国1800人のイスラム教徒が東京の明治公園でメッカに向かって祈りをささげたという(『朝日』1996年2月24日夕刊)。このような大規模な青空モスクではなくとも、日本の各地域に生活するイスラム教徒たちは日常的に公共施設の集会場やマンションの一室を借りたり、元進学塾やパチンコ店を買い取ってモスクにした場所などを利用して祈っている。埼玉を走る東武東上線、東武伊勢崎線、JR線沿線などにこうした場所を見ることができる。関東だけでも東京に10、埼玉5、神奈川3、千葉と群馬に各1ヵ所あった(『朝日』1994年12月3日)。ここには海外からイスラムの導師も招かれている。

ここ2、3年の出稼ぎ外国人に関する新聞記事で目立つ変化は、彼らを地域社会の生活者として見ようとしていることである。ヒト(外国人)を当り前のヒトとして見ることは結構難しいことなのかもしれない。それは記者だけでなく私たちも警察や入管の情報などに頼って、自分の目で彼らを見ようとしなかったからではないだろうか。日に止まった記事をいくつか挙げてみよう。「イスラム食料品店は教徒たちの交差点、大宮」(『朝日』1994年3月27日)、「したたかに出稼ぎ外国人」(『朝日』1994年11月12日夕刊)、「埼玉の住宅街にイスラムに祈り」(『朝日』1994年11月16日夕刊)、「国境を越えた神々―外国人労働者、町の中の祈り―」(『日経』1994年12月3日夕刊)、「極東から祈りを―中央モスク計画―」(『朝日』1994年12月3~5日)などのタイトルからその傾向を読み取ることができる。

こうした変化は外国入労働者に関する学生の卒業論文やレポートにもみられる。国際経済論やゼミでヒトの移動に関心を持った学生たちは、地の利を生かして東武東上線の坂戸や北坂戸駅周辺にあるイスラム・フードショップやモスク(イスラム寺院)から外国人労働者を見ようとする。ここでは地の利だけではなく、自分の目で見るという体験を生かすことができる。駅前留学を売り物にしている語学学校がなくとも、イスラム・フードショップ、モスクがここにはある。フードショップ自体も興味深いものがある。各店で売られているモノの価格の違いを発見したり、同じ東上線沿線にも異なる系列の店が存在しているなど、かなり経済学的な考察にまで触れるようなレポートも学生たちから提出されるようになった。

私は「埼玉はイスラム圏かもしれない」という仮説を立ててみた。ここで「イスラム圏」とはイスラム教徒人口が非イスラム教徒と比べて圧倒的に多いということではない。イスラム教徒の国際的なネットワークの一部が埼玉にも及んでいるという意味である。北坂戸で会ったアフガニスタン出身の男性は旧ソ連のアフガン侵攻によってパキスタンに逃れ、さらにマレーシアに移り、そして日本にやって来た。彼は北坂戸にある2軒のイスラム・フードショップのうちの1軒を経営しているという。また日本人女性との結婚も増加している。そして彼らの子供たちのために、イスラム学校や中央モスクの建設などが計画されているという。ネットワーク上の「埼玉イスラム圏」は根を張り始めたようにみえる。

このネットワーク上をヒトだけでなく、モノも移動する。例えば、彼らが必要とするハラールミートの牛肉、羊肉、鶏肉はオーストラリアやアメリカから調達されている。これらの国にもイスラム教徒が生活し、大量のハラールミートを世界各地に散らばるイスラム教徒に供給している。パンの一種ロティ・プラタはマレーシアから来ていた。インド、パキスタンからはレンタルビデオ映画、CD、カセットテープなどが、そのほかタイ製の食品も並んでいる。

北坂戸のイスラム・フードショップでロティ・プラタを見つけて、シンガポールで朝食によく食べたロティ・プラタを思い出した。シンガポールのそれはタミル系イスラムの人びとだけでなく、中国系の人びとの間でも人気のある料理のひとつである。ひとつの店にロティ(カレーが付くか、別にカレーを注文する)を焼くタミル人と、うまいコーヒーを入れてくれる中国人(海南島か潮州系)が同居している。実際はどちらかが場所を借りて営業している関係にある。ロティとコーヒー代金をどちらが徴収するかでこの関係は明らかになる。

ロティ・プラタはマレーシアでもタイでも食べることができる。そして北坂戸でも食べられるようになった。もっとも味はやはり本場の焼きたてにはかなわない。しかし、本場のタミル系職人がそのうちやって来るかもしれない。シンガポールの中心部は再開発で古い町並みはどんどん取り壊されている。私がよく食べに通ったロティ屋は数年前に姿を消していた。東南アジアの諸都市はいまや日本の都市よりも開発ブームに湧いている。追い出される人びとは、都市のなかで生活しにくくなっている。日本に来ても不思議ではない。

フードショップに並んでいたロティ・プラタから東南アジアのタミル系イスラムの人びと、うまいコーヒーを入れてくれる中国系シンガポーリアンなどモノに関わるさまざまなヒトが見えてくる。「イスラム圏」ならではの現象ではないだろうか。東上線沿線のイスラム・フードショップはヒトとモノについてこんな視点を提供してくれる面白い存在である。

初出誌情報

福家洋介1996「市・市場:4.イスラム・フードシヨツブとロテイ・プラタ」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第6号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.121-122.

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ここに公開している文書は、現代アジア研究所編『ASIA 21』中の「アジア諸民族の生活・文化誌」に寄稿頂いたものを、その当時のまま転載させて頂いたものです。 詳しくはこちら

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